アリとキリギリスに想うこの国の働き方
働きすぎの社会です。
あまり外国の事はわかりませんが、少なくとも日本は働きすぎの社会ですね。
なんといっても、karoshiという英語があるぐらいですから察してしかるべきです。
私は1990年から30年ちかくサラリーマンしてました。
まぁ、働かされましたね。
就職した頃は景気も良かったので、月に50時間ぐらいは当たり前でした。
「100超えると少しきついよね」なんてセリフが平気で飛び交っていました。
最初は開発部門に配属でしたが、まぁ22~24時が実質的な定時でしたね。
今にして思えば、本当に真っ黒な職場です。
それでも隣の生産管理部門と比べれば、ずいぶんとマシな方でした。
もはや、処置なしですね。
実際に、過労死した方も何人か知っています。
中学からの友人は、自死しました。
私も、最初はありえないと思っていました。
でも、環境というのは怖いモノです。
半年もしないうちに、こんな働き方が当たり前になりました。
年少の頃からの刷り込み
働きすぎの原因については諸説あります。
対応方法については、企業に改善を求める、あるいは就業規則を見直すといったことなどが言われています。
政府は、働き方改革なる旗を威勢よく振っています。
しかし、このような対処療法だけでは働きすぎは解決しないと思います。
この問題は、幼年期の教育にあると私は思っています。
具体的にいうと、それは日本昔話です。
働き者が絶対的に偉いという教え
花咲か爺さんしかり、舌切り雀しかり、日本昔話では謙虚な働き者が成功し、欲張りの怠け者が敗北するというのが王道のストーリーです。
こんな話を子供のころから繰り返し聞かされては、過労人間が続出するのも当たり前のことだと思います。
生真面目で意識の高い人ほど、花咲か爺さんや舌切り雀のお爺さんのように、理不尽な状況にも文句ひとつ言わず、黙々と働き続けます。
また、そのような人は狂ったように働いても見返りは多く望みません。
正に、日本昔話の働き者のお爺さんそのものです。
そのような働き者のお爺さんに対して、周りは何も言えません。
昔話の聖人君子のような振る舞いをする生真面目で意識の高い人に、普通の感覚では文句などつけられないモノです。
そして、タコ部屋のような労働環境ができあがるワケなのですね。
どれだけ働くかは個人の自由。
これの最たるものが、有名なアリとキリギリスの原本崇拝でしょう。
何が何でも怠け者や遊び人を糾弾するというのが、この社会の本質なのですね。
この国では、施しという行為もあまりよく思われていません。
キリギリスのように歌ばかり歌っていたものは罰を受けるのが当然という考えなのですね。
情けは人のためならずが違った意味で認識されるのも、この辺りが土台になっているのでしょう。
ですから、この国では失業することが何か犯罪のように思われています。
皆、会社をクビにならないように、過酷な状況でも必死でしがみついてます。
そして、病んでいくのですね。
もちろん、働いた分だけ報われなくてはいけないとは思いますけれど。
それが美徳として道徳の一環となってしまうと、おかしなことになるのでしょうね。
本当に過労問題を改善したいのなら、まずは幼年期における勤労崇拝主義の刷り込みを止めるところからだと思います。
それだけ、これは根の深い問題なのです。