山の神とは荘厳な生命力の塊。
機会があって、イノシシの解体に立ち会いました。
動物を自分の手で解体して食する体験は初めてでしたが、とても荘厳なモノですね。
自由を標榜し謳歌できるのも、このような大自然の恵みがあってのことだと感じました。
今回は、そのあたりのことを書いてみたいと思います。
友人宅でイノシシの解体を体験しました。
勤労感謝の日のことですから、すこし前の話になります。
この日は配偶者と、家族ぐるみで友だちしているMさん宅に行ってきました。
大学の人類学の先生であるMさんは、DIYをモットーにいろいろと多趣味な方です。
最近は狩猟にハマっているようで、免許も取って猟銃も手に入れたとのこと。
そんなMさんが自宅を新築したので、探訪がてら遊びに行ったのでした。
Mさんなりのこだわりが詰まったご自宅は、うん、とても素敵で快適です。
そして、大きい薪ストーブが鎮座するリビングでビザなどを焼いて歓談タイム。
そうしたところ、そこにMさんの猟師仲間から一報が入ったのでした。
なんでも、その猟師仲間のところでイノシシが罠にかかったとのこと。
そこで、これからMさん宅で解体することになったようでした。
動物の解体は一度は体験したいと思っていたので、私もその解体作業に参加することにしました。
初めての解体作業に、いろいろなことを想いました。
ほどなく、軽トラに積まれて今回の主役が登場です。
体重は100kg前後ということで、なかなかの大物ですね。
イノシシを近くでみるのは初めてでしたが、もののけ姫の乙事主そのモノでビックリです。
想像以上に神々しいその姿に、ちょっと見入ってしまいました。
その乙事主は、すでに血抜きされて内臓もすべて取り出されている状態です。
庭の片隅にある解体台に載せられて、まずは首を落とすところからですね。
斧や刃物を使ってガンガンと切り離すそれは、錆びついたオートバイの解体作業のようでした。
かなりグロテスクな感じかと思っていましたが、意外とそうではなかったですね。
首が落ちたら、今度は皮を剥いていきます。
刃物ひとつで、手慣れた手つきで皮を剝いでいくMさんと猟師さんたち。
そしてそれを眺めながら、私は長らく愛用している自身の革ジャンに思いが馳せました。
なるほど、このようにして採取されたモノを私は悦んて身にまとっているのですね。
そして、皮が全部剥がれたあたりが、死骸から美味しいお肉への変換点です。
足が外されてしまえば、あとはスーパーでやってるマグロの解体ショーと同じですね。
なるほど、動物の体というのは、基本的には同じような構造なのだと認識しました。
小一時間で解体作業は終わり、あとは山のような肉塊を山分けです。
私も肉とタン、あとは別枠で確保されていたレバーをいただきました。
レバーは塩コショウ、タンは湯がいて刻みネギとポン酢が美味しいそうです。
帰宅後、さっそく教えてもらった方法で調理しました。
荘厳な山の神様のパワーを感じました。
獲れたてのイノシシを食するのは初めての体験です。
すこしドキドキしながら一口食べて、まずはそのパワフルな味に感動しました。
もちろん、今回は血抜きが完璧なので臭みなどは一切ありません。
そして、ひと噛みするごとに、重厚な生命力を強烈に感じます。
ただ美味しいというだけではなく、その凄味に圧倒される感じですね。
また、このレバーやタン、4〜5切れも食べると半日はお腹が空きません。
決して消化が悪いワケではないので、これは不思議な感覚でした。
とにかく、この生命力の塊のようなトコロがまさに、山の神様からの恵みという感じでしたね。
今回の体験で、この国のいたるところにある山の神信仰の存在理由が理解できました。
あれは、決して科学を知らない者たちの慰みなどではないのですね。
実際に自分の手で解体しそれを食すれば、その荘厳さに畏怖するのは自然な感情だと思います。
現代人の私がそう感じるのですから、ましてや古代人なら如何ばかりのことでしょう。
オートバイで山道を走っていると、ふとしたところで山の神の祠を見かけます。
そこには、大自然を尊厳する人々の想いが詰まっているのですね。
食育という言葉はあまり好きではありませんが、今回はよい体験をしたと思います。
そして、何事もプロセスを経験してこそ本質が理解できるモノだと、あらためて痛感しました。