阿部詩さんの慟哭について。

2025年2月16日

阿部詩さんの慟哭が話題になりましたね。
あの慟哭については、アリとナシに世の中の意見がわかれています。
結論からいうと、私の意見はナシですね。
今回は、そのあたりのことを書いてみたいと思います。

端的に、幼い人なのだと思います。

阿部詩さんの慟哭が話題になりましたね。
あの慟哭については、アリとナシに意見がわかれています。
結論からいうと、私の意見はナシですね。

彼女の敗戦は、翌日のニュースで知りました。
当初は、負けちゃったんだという感じでしたが、あの慟哭をみてドン引きです。
あれでは、おもちゃ売り場で駄々をこねる子どもですね。
完全に、自身の感情をコントロールできない状態なのだと思いました。

端的に、幼い人なのでしょう。
大好きなお兄ちゃんと一緒に、金メダルを獲ることしか頭になかったのだと思います。
もちろん、それはそれでかわいい一面ではありますが、彼女もすでに24歳です。
正直、もうすこし分別があってもよいのではと感じてしまいました。

柔道の礼は、命に対するリスペクトです。

ネットのコメントをみると、「泣きたいときには泣けばよい」という意見が散見されます。
しかし、だからといってTPOをわきまえず慟哭するのは、大人のすることではないですね。
泣くなら控室でという意見もありますが、それが至極まっとうだと思います。

24歳といえば、柔道界では指導者であってもおかしくない年齢ですからね。
ぶっちゃけ、これでは苦言を呈されても仕方がないでしょう。
そもそも、あれでは相手選手に礼を尽くしたことにはならないと思います。

柔道における礼とは、命に対するリスペクトですからね。
これがないと、柔道はただの殺人ゲームに成り下がってしまいます。
ここは、金メダルなどよりもはるかに大切なトコロですが、本末転倒甚だしいですね。
自他共栄という柔道の精神が、ないがしろにされているようにすら感じました。

挫折をバネに、さらなる成長を期待したいです。

このあたりについては、詩さん個人の資質だけの話ではないかもしれません。
個人的には、近代オリンピックの弊害のひとつかなと感じています。
ナショナリズムが強すぎるオリンピック、あるいはワールドカップも同様ですが。
これらは、もはや時代遅れの遺物なのかもしれませんね。

詩さん自身については、観戦席でおにぎりを頬張る姿に、あどけなさを感じました。
もしかすると、このあたりが彼女の強さなのかもしれませんね。
会場を包んだウタコールといい、傍観者にはわからない魅力のある人なのだと思います。

いずれにしても、今回の敗戦は、彼女にとって大きな意味のある挫折となることでしょう。
やはり、どのような人でも、一度は挫折をしないと一皮むけません。
この機会に、どうして柔道をするのか、一度彼女自身で考えてみると良いと思いますね。

お兄ちゃんの方は、一時期苦労していたこともあったためか、貫禄の違いを感じました。
詩さんも、兄妹で二連覇といった、どうでもよい話に惑わされないようになって欲しいです。
そして、その域に達してこそ、真の柔道家といえるでしょう。
一回り大人になった詩さんの、これからの活躍に期待したいと思います。