日本人ファーストには何の意味もありません。

今夏の参院選あたりから、日本人ファーストが叫ばれています。
しかし、この日本人ファーストに、政治的な意味合いはまったくありません。
早く、このような強迫に満ちたフレーズが、世の中から消え去ることを希望します。

日本人ファーストは政治的に無意味です。

今夏の参院選あたりから、日本人ファーストが叫ばれています。
Xなどでも、目にする機会が多くなりました。
たとえば、この参政党の党首の投稿ですね。
「日本の政治家が日本の国民の暮らしを最優先に考えるのは当たり前」といっています。

この日本人ファースト、日本国民の暮らしを最優先に考えるは、一見正論です。
それについては、誰も反論の余地はないでしょう。
しかし、それゆえに政治的にはまったく意味をなさない、ただの強迫だったりします。
それでは、そのあたりを詳しく解説していきましょう。

相反する政治的命題の、どちらにも使えるフレーズです。

日本人ファーストという発言は、政治的にはまったく無意味です。
理由は、相反する政治的命題の、どちらにも使えるフレーズだからです。
それでは、具体的にみていきましょう。

  • 外国人を受け入れるのは、日本国民の暮らしを最優先に考えるから。
  • 外国人を排除するのは、日本国民の暮らしを最優先に考えるから。

はい、相反する命題に対して、どちらにも矛盾なく使えるフレーズですね。

  • 外国人を受け入れて、人口減と労働力不足を補い社会を活性化する。
  • 外国人を排除して、混乱と犯罪を防ぎ、日本固有の文化を守る。

このように、どちらも「日本国民の暮らしを最優先にするため」という論が成り立ちます。
これでは、政治的に説得力のある裏付けにはなりません。

同じような例は、いくらでもあげることができますね。

  • 原発を推進するのは、日本国民の暮らしを最優先に考えるから。
  • 原発を廃止するのは、日本国民の暮らしを最優先に考えるから。
  • 憲法9条を保持するのは、日本国民の暮らしを最優先に考えるから。
  • 憲法9条を改定するのは、日本国民の暮らしを最優先に考えるから。
  • 夫婦別姓を認めるのは、日本国民の暮らしを最優先に考えるから。
  • 夫婦別姓を認めないのは、日本国民の暮らしを最優先に考えるから。

つまり、日本人ファーストに政治的な意味合いは、何もないのです。

日本人ファーストは、ただの強迫です。

それではなぜ、政治が論じられる場で、日本人ファーストが叫ばれるのでしょう。
それは、このフレーズに強迫作用があるからです。

日本人ファーストは、あまりにも当たり前すぎて、誰も反論できないトコロがミソです。
これに反論しようものなら、悪質な売国奴という印象すら与えかねません。
意識してなのか、あるいは無意識下なのか、いずれにしても発言者は、その効果を狙っています。
結局のトコロ、日本人ファーストは、ただの強迫なのですね。

Xなどでは、良心に反し筋が通らない発言をする者が、こぞってこのフレーズを多用します。
要は、己のデタラメな主張を、力ずくで糊塗しているだけなのですね。
もはや、これでは前向きな政治議論など、望むべくもないと思います。

ということで、あらためて日本人ファーストを声高に叫ぶ輩には注意しましょう。
そもそも、日本国民の暮らしを最優先に考えていない人などいないのですからね。
国民をかさに着た自分優先の輩に、日本人ファーストを言われる筋合いはありません。