愛猫がなくなりました。
先週の土曜日、ウチで飼ってた猫のもなかがなくなりました。
ウチに来てから、14年と8か月でした。
今回は、そんな彼女の思い出話を書きたいと思います。
14年と8か月、一緒に過ごしました。
先週の土曜日、ウチで飼ってた猫のもなかがなくなりました。
ウチに来てから、14年と8か月でした。

彼女と出会ったのは2010年5月1日、友人宅にウサギのあんこをもらいに行ったときです。
ひと月前に生まれた子猫の一人で、そのあまりに美人なトコロに一目ぼれしたのでした。

配偶者に飼いたいといったら、あっさりとOK。
そして、あんこと一緒に我が家にやってきたのでした。

その後、あんこは2年でなくなりましたが、もなかは元気で長生きしてくれましたね。
アグレッシブながら、根はやさしい猫でした。
もなかは、若い頃は本当にやんちゃでした。
猫がカメムシのように網戸に張り付くとは、彼女ではじめて知りましたね。

しかも、美人な見た目とは裏腹に、性格はものすごくアグレッシブです。
まずは、スキンシップを絶対に許してくれません。
家族なら抱かせてくれるときもありましたが、ガマンガマンの唸り声をあげていましたね。

また、もなかには甘噛み癖もありました。
そんなことで、当時、自宅に遊びにくる息子の友人たちを、恐怖のどん底に陥れていましたね。
もちろん、ひと月に一回ぐらいの爪切りは、いつも流血戦です。
猫好きの知り合いからも、もなかはちょっと怖いと言われてしまう有様でした。

とはいえ、あのアグレッシブなトコロは臆病の裏返しだったのかもしれません。
そんなもなかは、頭が良いというか、なかなか勘のいいトコロがありました。
「もなかも歳取ったねぇ、もうおばちゃんかな?」なんて軽口を言うと、噛みついてきます。
人の言葉がわかるとは思いませんが、雰囲気で察することができたのでしょうね。

でも、根はやさしく、義理堅い猫でした。
家人の誰かが臥せったりすると、心配して寝室まで様子を見にきてくれましたね。
自分が、誰の世話になっているのかをよく理解している感じでした。
ということで、もなかは長らく我が家のお姫様的アイドルだったのです。
彼女らしいアグレッシブな最期でした。
そんなツンデレ猫のもなかですが、長らく病気もせず、超絶元気でした。
とはいえ、いやがおうでも加齢は進みます。
一年ぐらい前から腰が落ちるようになり、昨秋には高いトコロに登れなくなりました。
そして、ずいぶんと痩せて体重も軽くなっていたのです。

でも、それ以外は今までと変わりなく、ご飯をモリモリ食べて、排せつも毎日モリモリです。
朝夕はご飯をよこせ、ちゅ〜るを喰わせろと、得意技の甘噛み攻撃炸裂でした。
ところが、今年に入って突然、固形のご飯が食べられなくなったのです。
それでも、ちゅ〜るやおさかな生活といったやわらかいご飯なら食べることができました。
そして、一週間前からトイレが難しくなり、木曜日にちゅ〜るも食べられなくなったのです。
というか、食べたい気持ちはあるのですが、嚥下力が追い付かない感じでしたね。
ご飯が食べられなくなった木曜日の昼休みに、一時帰宅したときのことです。
これまで聞いたことがない「くぅ〜ん、くぅ〜ん」という鳴き声で、とても甘えられました。
たぶん、体調が思わしくなくてとても不安だったのでしょう。
このときは、さすがにちょっと参りましたね…。
その様子を家族LINEしたら、その日の夜に息子が福島から帰ってきてくれました。
それで、もなかもだいぶ安心したようでしたね。
その後、翌日金曜日の夕方には、ほとんど動けなくなってしまいます。
それでも、水飲みやトイレをがんばっていました。
動物病院というオプションは、彼女のスタイルを尊重してあえて選択しませんでした。
そして、土曜の夕方にトイレに行こうとして力尽き、そこから口呼吸です。
そこから30分後、カッと目を見開き口を大きく開けて、そのままガクッと逝きました。
最期の最期までアグレッシブで、なるほど猫も生きたように逝くのだと思いましたね。
ホムセンで買った新品のダンボール箱を棺にして、大好きだったちゅ〜るとお花を入れました。

この日は、彼女の写真をスライドショーにして、家族三人で思い出話に花が咲きましたね。
そして、月曜日に市の清掃センターで火葬です。
さすがに、清掃センターでお別れしたときは、家族三人で涙涙でした。
14歳は人間年齢で72歳、すこし若かった気もしますが、立派に生きてくれました。
はじめて迎えた日から、いつかはお別れのときがくることを覚悟はしています。
さみしいですが、飼い主としては肩の荷が下りたような感慨もありますね。
あらためて、我が家の激動の14年間につきあってくれたもなかには感謝しかありません。
まずは、安心してゆっくり休んで、そしてまたどこかで会いましょう。
14年と8か月、楽しい思い出をありがとうでした。