阿部詩さんの慟哭について。
阿部詩さんの慟哭が話題になりましたね。
あの慟哭については、アリとナシに世の中の意見がわかれています。
結論からいうと、私の意見はナシですね。
今回は、そのあたりのことを書いてみたいと思います。
端的に、幼い人なのだと思います。
阿部詩さんの慟哭が話題になりましたね。
あの慟哭については、アリとナシに意見がわかれています。
結論からいうと、私の意見はナシですね。
彼女の敗戦は、翌日のニュースで知りました。
当初は、負けちゃったんだという感じでしたが、あの慟哭をみてドン引きです。
あれでは、おもちゃ売り場で駄々をこねる子どもですね。
完全に、自身の感情をコントロールできない状態なのだと思いました。
端的に、幼い人なのでしょう。
大好きなお兄ちゃんと一緒に、金メダルを獲ることしか頭になかったのだと思います。
もちろん、それはそれでかわいい一面ではありますが、彼女もすでに24歳です。
正直、もうすこし分別があってもよいのではと感じてしまいました。
柔道の礼は、命に対するリスペクトです。
ネットのコメントをみると、「泣きたいときには泣けばよい」という意見が散見されます。
しかし、だからといってTPOをわきまえず慟哭するのは、大人のすることではないですね。
泣くなら控室でという意見もありますが、それが至極まっとうだと思います。
24歳といえば、柔道界では指導者であってもおかしくない年齢ですからね。
ぶっちゃけ、これでは苦言を呈されても仕方がないでしょう。
そもそも、あれでは相手選手に礼を尽くしたことにはならないと思います。
柔道における礼とは、命に対するリスペクトですからね。
これがないと、柔道はただの殺人ゲームに成り下がってしまいます。
ここは、金メダルなどよりもはるかに大切なトコロですが、本末転倒甚だしいですね。
自他共栄という柔道の精神が、ないがしろにされているようにすら感じました。
挫折をバネに、さらなる成長を期待したいです。
このあたりについては、詩さん個人の資質だけの話ではないかもしれません。
個人的には、近代オリンピックの弊害のひとつかなと感じています。
ナショナリズムが強すぎるオリンピック、あるいはワールドカップも同様ですが。
これらは、もはや時代遅れの遺物なのかもしれませんね。
詩さん自身については、観戦席でおにぎりを頬張る姿に、あどけなさを感じました。
もしかすると、このあたりが彼女の強さなのかもしれませんね。
会場を包んだウタコールといい、傍観者にはわからない魅力のある人なのだと思います。
いずれにしても、今回の敗戦は、彼女にとって大きな意味のある挫折となることでしょう。
やはり、どのような人でも、一度は挫折をしないと一皮むけません。
この機会に、どうして柔道をするのか、一度彼女自身で考えてみると良いと思いますね。
お兄ちゃんの方は、一時期苦労していたこともあったためか、貫禄の違いを感じました。
詩さんも、兄妹で二連覇といった、どうでもよい話に惑わされないようになって欲しいです。
そして、その域に達してこそ、真の柔道家といえるでしょう。
一回り大人になった詩さんの、これからの活躍に期待したいと思います。