児童文化研究会の想い出

大学の四年間、児童文化研究会というサークルに所属していました。
バリバリの工学部男子な私には門外漢なサークルでしたが、青春の金字塔です。
そして、その後の私の人生にも、大きな影響を与えてくれました。
今回は、そんな若かりし日の想い出を、書いてみたいと思います。

春になると思い出します。

今年も、間もなく新学期の季節です。
今春から大学生ということで、期待と希望で胸がいっぱいという方も多いでしょう。
そして、ちょっぴり失意の方も、少なからずいらっしゃるのではと思います。

かくいう私も、35年前の春に大学生になりました。
希望校への進学ではなかったので、希望よりも失意が85%という感じでした。
そして、想定外の知らない街での一人暮らしということで、戸惑いも大きかったです。

アパートは、大学の斡旋会場で見つけました。
土地勘もないまま、新築というただそれだけで決めてしまったアパートでした。
1LDK、バストイレ付。フローリングが希望でしたが、当時はまだ畳が主流でしたね。

学校から少し遠いのが難点でしたが、新築なので居心地はよかったです。
壁一面に、アートチックなフェラーリの写真などを貼りつけ、一国一城の主気分でした。
また、お隣は同じ高校から進学した友人で、心強かったです。

荷物は、家族がクルマで運んでくれました。
彼ら帰っていいくときは、さすがにさみしい気持ちでいっぱいでしたけど。
でも、間もなく、お気軽な一人生活の楽しさに、失意の心も癒されていくのでした。

クラスには女子がいませんでした。

アパートでの生活が始まっての翌々日が、入学式だったと思います。
肌寒い中、校外での式を終え、キャンパスに戻りオリエンテーションです。
まずは、大学にもクラスや担任がいるのだなぁという感じでした。

そして、オリエンテーションの会場に入って愕然としました。
なんと、クラスには女子が一人もいないのです。
私の進学した工学部機械工学科は、むさ苦しい男どもの巣窟なのでした。

でもまぁ、よく考えれば当たり前の話ですけどね。
しかし、男子校出身の私にとって、あと4年間女性と縁がないのはあり得ない展開でした。

そんな折、同郷の友人が、サークルに入らないかと声をかけてきました。
希望通りの進学だった彼は、新生活に対して、とても前向きでした。
まだやさぐれ気味だった私は、サークル活動をする気などさらさらなかったのですが。
でも、楽しそうな彼の姿を見て、自分も何かやってみようかなぁという気になったのでした。

同郷の彼が入ったのは、地学研究会というバリバリの文化系サークルでした。
夜、山に登って天体観測をするようなトコロで、それはそれでおもしろそうです。
でも、同郷の彼と、サークルまで同じというのは今ひとつのような気がしました。
そこで、私はまったく別のサークルに入ることにしたのでした。

飛び込みで入りました。

サークルに入るにあたっての条件はただひとつ、確実に女子がいるところでした。
そこで、あらためてキャンパス内をながめてみると、いろいろな看板が林立しています。
その中で、私の目を引いたのが、児童文化研究会というサークルの看板でした。

目を引いたというよりも、何か惹かれるモノを感じたというトコロですね。
当時、女の子のいるサークルなら、スキー&テニスのようなナンパ系が定番でしたけど。
でも、あのときの私は、なぜかそちらではなくてこちらなのでした。

児童文化研究会、そこは人形劇をするサークルでした。
これについては、当時ハマっていためぞん一刻の影響も、多少なりともあったと思います
もちろん、ここなら私の下心も、間違いなく満たされることでしょう。

ということで、あとは勢いで飛び込み入部です。
意を決してサークル室のドアをノックし、入りたいのですけどと告げました。
男子が飛び込み入部というのは、かなり珍しかったのでしょう。
そこにいた先輩方、ちょっと目を丸くしていましたが、すぐにウェルカムになりました。

あのときの、やわらかい春の日差しは、いまでもハッキリ思い出すことができます。
その後は、お約束のように飲み会に連れていかれて完全にハマりました。
教育学部生が多いのは当たり前ですが、意外にも理学部や工学部の理系男子もちらほらです。
そして連休に入るころには、私にとって大切な居場所になっていたのでした。

四年間、どっぷり活動しました。

さて、その児童文化会ですが、まず男子は、ぶっちゃけ変わっている人が多かったです。
まぁ、二十歳前後の男子大学生が人形劇ですから、当たり前ですね。
でも、その少し変わったところが、私にとってはとても居心地がよかったです。

そんな男子に対して、女子は地味でマジメでやさしい人が多かったですね。
そして、みんないい人で、とても仲良しなサークルでした。

ゴールデンウイークが終わるころから、サークルは夏の巡演に向けて動き出します。
この夏の巡演が、サークルの一番メインとなる活動でした。
夏休みの最初の二週間、ひとつの人形劇団として県内のへき地の小学校を巡業するのです。

人形劇は、脚本から人形、舞台装置とすべて手作りでした。
そして、7月の巡演に合わせて練習を重ねていくのですね。
また、余興の紙芝居や歌と踊りといったモノも、並行して準備していきます。

早朝のグランドでの声出しなど、最初はちょっと斜に構えていた私でした。
しかし、実際に巡演にでると、その魅力にどっぷりと取りつかれてしまいます。

仲間と公演用の荷物と担ぎ、電車やバスを乗り継いでたどり着いた山間の小さな小学校。
夏空の下、私たちのつたない人形劇を、子どもたちは本当に心待ちにしてくれていました。
へき地には若者が少ないという事情もあるのでしょう。
あんなに子どもになつかれたのは、生まれてはじめての経験でした。

公演会場の体育館に舞台装置を組み立て、それが一段落ついたら夕食をかねての飲み会。
まぁ、毎日がキャンプみたいな感じですね。
そして翌日、公演をして、また次の学校に向かうという感じでした。

二十歳前後の若者にとって、こんな旅芸人のような活動が、面白くないワケがないですね。
最後は温泉宿を貸し切りにしての打ち上げ、もうサークル仲間は家族という感じです。

夏の巡演の他に、秋にも公演がありました。
また、人形劇だけではなく、花見に芋煮会にクリスマスパーティ。
あげくは、ドライブにスキーにと、サークルの仲間とは思いっ切り遊びまわりましたね。

気心知れた連中とモラトリアムを謳歌できたのは、本当に幸せなことだったと思います。
最初は、専門課程に移行するまでの腰掛のつもりで入ったサークルでしたが。
結局、卒業するまでの四年間、ガッツリ活動することになるのでした。

人生、何が影響するか分かりません。

また、このサークル活動を通じて、私は子どもが大好きになりました。
それまでは、子どもは論外だったのですけどね。

これについては、いまでも思い出すことがあります。
ある巡演先で、小学校に遊びに来ていた中学生と、おしゃべりになりました。
「こんななにもないトコロで育った自分に、この先できることなんてあるのだろうか?」
彼は、そんな中学生らしい悩みを、学生の私に打ち明けてくれました。

「大丈夫だよ。人生も世の中も、そんなに難しいモノではないから」
相談されたことを嬉しく感じつつ、そんな風に答えている自分に驚きました。
そして、生まれてはじめて、自分の子どもが欲しいなぁって思いました。

お昼過ぎの分校の校庭、あのとき、あの会話がなければ、私は結婚していないかもですね。
まったく、人生何がどう影響するか分からないモノだと思います。

その後、卒業してからも、サークル仲間とのつきあいは続きました。
年に何回かは会って飲み会をしたり、夏は旅行に出かけたり。
そして、私の配偶者は、大学一年の巡演で一緒に紙芝居をした相方だったりします。

本当に、人生というのは偶然の積み重ねだと思いますね。
あのとき、あの児文研の看板に惹かれていなければ、今の私はないのですからね。
そして、感じるがままに行動することが、よい出会いと巡り合えるコツなのかもです。

この春に新しい生活を始められる方にも、きっといい出会いがあることでしょう。
失意の方もリベンジではなく、今の環境を前向きに受け入れた方がよいかもしれません。
そして、私も引き続き、前向きに、感じるがままに生きていきたいと思います。