Webiker Blog

50才からフリーランスをはじめたオートバイ乗りのブログです。

お仕事の経歴

これまでの、私のお仕事経歴です。
30年も働いているので長文ですが、よろしくお願いします。

就職以前

親から、大学行くなら実家から一番近い国立といわれました。
なので、最初は仙台にある某国立大学を目指しました。
しかし、学力の壁はいかんともしがたく、次に実家に近い山形の大学に進学しました。

子どもの頃から機械や電気が大好きなので、工学部一択です。
機械と電気で迷いましたが、知り合いの【つぶしがきく】とのアドバイスで機械にしました。
その後、30年たって、確かにそれも一理あったかなとは思います。

就職は、地元の某事務機メーカーの子会社工場です。
理由はひとえに、好きなBikeやクルマを思いっきり楽しむためです。
大学卒業後は実家にはいり、そこから会社に通いました。

お金がたまるので、170万円のBikeや350万円の外車を手に入れ、20代を謳歌しました。
世の中をなめたような展開ですが、後悔はしていません。
いまでも、あの選択は間違っていなかったと思います。

サラリーマン時代①

会社の方は、約3ヶ月の研修の後に、開発部門に配属されました。
そこで、バーコードスキャナの開発を3年、プリンタの開発を3年しました。

開発の仕事は天職でした。
そして天職かどうかは、やってみて初めて分かるモノなのだなと思いました。

毎日、深夜までCAD室に閉じこもって図面を描いていました。
残業は月100時間に迫る勢いでしたが、まったく苦になりませんでした。
先輩や同僚もいい人ばかりで、本当に恵まれていました。
この6年間は、人生で一番仕事にコミットした時期でした。

その後、営業に移ります。そこで、OEMや代理店の担当をしました。
代理店から呼ばれれば全国津々浦々、どこにでも出張に行きました。
この頃は、週に2~3日は東京や大阪に出張でした。
この仕事で、全国の主要都市の地理を大分覚えました。

ただ、営業の仕事は本望ではありませんでした。
環境は決して悪くはなかったのですが、ぶっちゃけ腐っていました。
そして、会社にいる時はネットばかりしていました。

仕事一辺倒から、プライベートに向かう気持ちも出てきました。
結婚して山形に住むようになったのもこの頃です。

営業には、足掛け7年いました。
その後、今度は企画に移ります。

企画は、営業以上に肌に合いませんでした。
どうにも、私はお金儲けに興味が持てない人間のようです。

結局、企画部門でも、のんべんだらりんと過ごしていました。
畑違いの、部門のシステム開発などに精を出していました。
ただ、この時に学んだ企画のイロハは、今でも非常に役に立っています。

そんなことでパラサイト社員をしていたところ、41歳で突然リストラされました。

事業部ごと、売り飛ばされました。

私が所属していたのは、自主事業の事業部でした。
会社の本流部門ではないこともあり気楽でしたが、万年赤字でした。
そして、親会社の方針変更で一発放銃でした。

人生は、プラスマイナスゼロだと思いましたね。
おいしい状態は、長くは続かないモノです。

私のような人間はともかく、意識を高く持って一生懸命仕事をされてきた人は気の毒でした。
また、事業とは直接関係のない事務職の女性社員などなど。
結局、サラリーマンは運命共同体です。
意識の高い低いに関係なく、淘汰されるときは一蓮托生です。

譲渡先は、バーコード業界第二位の会社でした。
そこの関連子会社という形で譲渡されました。

T芝の看板を背負っているその会社は、パワハラ横行の昭和の裏路地のような会社でした。
これでは、黒字浮上など夢のまた夢という感じでした。

そして3年後、東日本大震災です。
仙台空港近くにあった社屋も、津波の被害を受けました。
その年の秋に会社は解散、私は静岡への移動を命ぜられました。

想定外の転職活動、山形の会社に再就職。

会社がなくなっても仕事がなくならないのは、さすが大会社でした。
しかし、家庭の都合で、静岡への移動を受け入れることはできませんでした。
配偶者が地元で公務員をしていることもあり、転職を決めました。
ダブルインカム体制だったことは、本当に救いでした。

退職金は雀の涙でしたが、会社都合で退職になったのはラッキーでした。
失業保険が、実質的な退職金という感じでした。

ということで、44歳で想定外の転職活動です。
2011年の秋、リーマンショックの残り火もまだまだくすぶっていた頃です。
なんの下準備もないままでの転職活動、ぶっちゃけ大変でした。

連日、ハローワークに通い、20社近くに履歴書を送ったと思います。
今のように、転職サービスもあまりなかった時代です。
失業保険はもらっていましたが、なんとも落ち着かない半年でした。

翌年の春に、山形のシステム会社に就職します。
しかし、なんと3ヶ月でクビになりました。
どうも、その会社を牛耳ってる部長から嫌われてしまったようでした。
とてもショックを受けましたが、今考えれば早々に離れてよかったという感じです。

サラリーマン時代②

梅雨明けからまた就職活動をして、秋に再々就職をしました。
今度は、小さなモーターメーカーです。
そこで、管理の仕事を5年半しました。

ものづくりが好きな私に、工場勤務は肌があいました。
accessで業務用のシステムを構築したり、得意分野を活かして仕事ができました。

そのうち、いろいろなことを任されるようになりました。
社長室長の肩書で、採用や購買なども体験しました。
いろいろな補助金も、たくさんゲットしました。

知見はたくさん得られました。
しかし、ぶっちゃけ割に合わなくなってきました。

年収400万円未満です。仕事量や責任の割には、あまりにも少なすぎました。
かといって、これ以上収入が伸びる要素もありません。
所詮は、搾取される側の零細企業です。

社長はいい人でしたが、ちょっとエキセントリックなところがありました。
まぁ、あのぐらいでないと、地方の零細会社を維持することはできないでしょう。
そこは許容範囲でしたが、しかし、ちょっと疲れてしまいました。
正直、このままでは人生をダメにしてしまうという感じでした。

そして、再々就職

ということで、今度はじっくりと腰を据えて仕事探しをしました。
団塊世代のリタイヤなどの影響で、転職市場も一変していました。
そして、1年かけて今の仕事を見つけ、現在に至ります。
その顛末は、こちらに詳しく書いています。

今は、フリーランスの生活をのびのびと満喫しています。
収入も、前職を越えました。
仕事のボリュームを考えたら、体感的には効率10倍アップです。
50代での転職なら、正社員に拘らないのも、ひとつの方法だと思います。

以上が、これまでの経歴です。
自分でも想定外に、紆余曲折してきました。
何はともあれ、仕事があって収入が得られるのはありがたいことです。

そして、今の仕事が終の棲家とも考えてはいません。
これからも、自分に合う仕事のスタイルを模索していきたいなと思っています。

投稿日:2020年7月1日 更新日:

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50歳で在宅フリーランスを始めました。
Microsoft OfficeのSetupオペレータです。
自由と家族、オートバイを愛しています。
そんな私の日々や思うトコを書いています。

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