コロナ禍後の東京旅行記 前編
ひと月近く前の話になりますが、東京にいってきました。
今回は、配偶者との夫婦旅です。
コロナ禍以来、5年ぶりの東京でしたが、たまには都会もよいですね。
では、その道中記を、前編と後編にわけて書いていきたいと思います。
コロナ禍以来の東京に行ってきました。
ひと月ほど前の話になりますが、東京にいってきました。
東京にいくのは、コロナ禍以降ですから5年ぶりです。
派遣の仕事が始まる直前に、のんびりできるのも今のうちだと決行しました。
5年ぶりの東京は、チケット手配の時点から浦島太郎状態です。
えきねっとでチケット予約、あとは購入で使ったクレカで駅の券売機から発券のつもりでした。
ところが、クレカを入れても登録された切符はありませんとの、ふざけたメッセージです。
しょっぱなから、きっぷ売り場でてんわやんわとなりました。
結論からいうと、びゅうで申し込んだときは手続きが違うようですね。
発券機に、JR認証番号と指定番号の二つを入れることで発券されるようでした。
ところが、スマホで申し込みサイトにアクセスしても、指定番号がどこにも表示されません。
新幹線の発車時刻まで5分をきって、さすがに超絶焦りましたね。
最終的には駅員さんに泣きついて、そうしたところ指定番号は電話番号の下四桁でした。
そんな説明はどこにもなくて、まったくもって参りましたね。
結局、切符を手にしたのが定刻過ぎです。
完全に詰んだと思いましたが、この日は濃霧で列車が6分遅れで、首の皮一枚でした。
ということで、最初に大きく躓きましたが、列車に乗ってからは順調です。
朝の8時からのスーパードライがたまりません。
3時間ほどの快適な鉄道旅をたのしんで、あっという間に東京に着くのでした。
初日は、国立科学博物館を堪能です。
ひさしぶりの上野駅、この新幹線改札だけは、昔から変わらないですね。
さっそく、今回の目的地のひとつ、国立科学博物館へ向かいます。
D51が、お出迎えしてくれました。
科博といったら恐竜ですが、物理・技術系の私は、この現物周期表が外せません。
扉に何気にかかれたマクスウェルの方程式が素敵すぎます。
季節によって昼夜の長さが変わる和時計。
今回、その仕組みがようやくわかりました。
科博は展示物のみならず、その解説も秀逸ですね。
加速器のセンサー、そこから出ているケーブルの本数に驚かされます。
素粒子の研究者が、いかに緻密なことをやってるのかがとてもよくわかりますね。
そして、今回一番感動したのが、この日本初のTV装置でした。
走行線40本の丸型ブラウン管、ちょうど実演のタイミングに居合わせることができました。
映り始めはリングの貞子ビデオのようで、ちょっとオカルトです。
しかし、これは映像で物事を伝えたいという、太古からの人間の願いを叶えた機械ですからね。
ブラウン管に映し出されたイの文字をみて、しみじみと感動しました。
浅草の神谷バーで電気ブランをたのしみました。
これらの他にも、科学博物館は興味をそそる展示のオンパレードです。
こちらは、原人たちが作ったというアクセサリー。
数十万年もの昔、いったいどんな気持ちで作ったり使ったりしたんのでしょうね。
レストランで小休止、恐竜が乗った科博パフェがかわいくておいしかったです。
科博を4時間ほど堪能したあとは、上野公園をそぞろ歩きして上野駅に戻ります。
そして、銀座線で浅草に向かい、神谷バーへ直行しました。
ここに来るのは、四半世紀ぶりかもしれません。
前回は微妙だった電気ブランが、今回はとてもおいしく感じられました。
神谷バーをたのしんだあとは、浅草をそぞろ歩きです。
インバウンドだらけと思いきや、意外にそうでもありませんでしたね。
田原町から銀座線、半蔵門線と地下鉄を乗り継いで、神保町のホテルにしけこみます。
すぐに爆睡の配偶者、私はすこしお腹が空いてきました。
Googleマップで検索すると、おいしそうなラーメン屋がこれでもかとでてきます。
このあたり、さすがは大東京の面目躍如ですね。
ということで、ホテルを抜け出し神保町駅近くの新橋ニューともちんラーメンへ。
体重的にいけないとは思いつつ、若者に混ざって深夜のラーメンを堪能します。
この、いかにも大都会の片隅という感じが、旅情を満たしてくれますね。
ひさしぶりに都会の温もりを感じながら、東京の夜は更けていくのでした。
コロナ禍後の東京旅行記 後編に続く。