青森市に旅行してきました。その3
11月最初の連休に、家族で青森市まで旅行にいってきました。
当初は奈良美智さんの展覧会をみるだけのつもりでしたが、ふたをあければボリューム満点です。
やはり、青森市はエキゾチックでおもしろい街ですね。
その最終章は、八甲田山雪中行軍遭難資料館と県立美術館の奈良美智展です。
青森に旅行してきました。その2 は、こちら。
八甲田山雪中行軍遭難の全容をはじめて知りました。
八甲田丸の興奮を引きずりつつ、次は八甲田山雪中行軍遭難資料館にむかいます。
資料館は、青森市内から県道40号をクルマで20分ぐらい走ったところにありました。
資料館に入ると、後藤伍長銅像のレプリカが出迎えてくれます。
まずは、その大きさにビックリしますね。
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ご存じの通り、こちらは明治35年に陸軍の青森連隊が八甲田山で遭難した時の資料館です。
200人近くが死亡した大惨事ですが、これまでその全容をまったく知りませんでした。
大方、精神論の軍隊が、未開の雪原で無謀なサバイバル訓練を行ったのだと思ってました。
ところがこの遭難は、資料館の前を通る県道40号を行軍中に起きたのですね。
まずは、遭難の現場が未開の雪原ではなく街道筋だったところに、すこし衝撃を受けました。
資料館の隣には、慰霊碑があります。
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資料によれば、行軍は当時の仮想敵国ロシアの八戸上陸を想定してのモノだったとのこと。
沿岸部も抑えられた場合、青森や弘前の連隊が迎撃するのには八甲田越えになるのですね。
この雪中行軍は、それを前提にした訓練とのことでした。
それで、この遭難した青森連隊とは別に、弘前の連隊が同日逆コースで踏破しているのですね。
弘前連隊が無事に帰還できた理由は、食事と就寝場所が現地調達で軽装備だったこと。
そして、メンバーには地元出身者が多く、青森の雪に慣れていたという事情もあったようです。
ただ、200人超の青森連隊では現地調達は無理ですし、小回りも効かないでしょうしね。
ですので、単純に弘前連隊と比べるのには、すこし無理があるようにも感じました。
それよりも、青森連隊にとって致命的だったのは、夜中の2時に撤収を開始したことでしょうね。
この教訓からか、いまでは山で迷ったらそこから動かないが鉄則になっていると思います。
実際に、遭難の現場にも行ってみました。
いずれにしても、当時は大変な時代でした。
資料館では当時のコートを着用できますが、あれでは凍死するのも仕方ないと思います。
さらに、この頃はまだ、正確な天気予報もなかったのでしょう。
銅像になっている後藤伍長は、仮死状態で雪原の中に突っ立っていたそうです。
それでも、少数ながらこの遭難を無傷で乗り切った人もいらっしゃいます。
ただ、その方が数年後の日露戦争で戦死されていたりするのですね。
逆に、四肢を失った人が地元で長生きしたりと、今も昔も人生いろいろだと思いました。
また、この遭難事件では責任者の山口少佐が変死していたり、弘前連隊も青森連隊の遭難を知っていて知らぬふりをしたのではないかという話もあるようで、ミステリー要素にも事欠かないようですね。
遭難現場は県道40号沿いなので、そこまでドライブすることにしました。
ここは、今でも冬季通行止めになる厳寒エリアです。
そこを80kgのソリを4人で引いて行軍したのですから、恐れ入るばかりですね。
後藤伍長が仮死状態で突っ立っていたという馬立場です。
この日はさわやかな秋晴れで、とても平和でした。
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結局のところ、この遭難は撤収のタイミングを逸して突っ込みすぎたのが敗因なのでしょう。
このことは、現地に行ってみるとよくわかります。
これについては、先般の愛染峠アタックに通じるモノがありますね。
進めると思って突き進んで、ヤバイと思って撤退を決めて。
ブッシュの中でUターンしたまではよかったが、トラップの大穴にハマって谷底に転落。
まさにそのような感じの遭難話で、身につまされる思いがしました。
旅の最後に、奈良美智さんの展覧会を堪能しました。
遭難現場の馬立場から、今度はR103経由で青森市にもどります。
そのあとは、月曜日から学校の息子と新青森駅でお別れですね。
息子は新青森発16:17の新幹線で仙台乗り換え、福島のアパートには19:29に到着したようでした。
新幹線があまりに爆速なのに、ちょっと笑ってしまいましたね。
夫婦水入らずになったところで、この日の宿は浅虫温泉です。
すこし昭和チックな旅館の窓から見える陸奥湾が、美しかったですね。
ロビーで開催された津軽三味線のライブも、とてもよかったです。
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そして最終日は、本来の目的である青森県立美術館で奈良美智さんの展覧会です。
平日なので、あまり混んでいないのがうれしいですね。
今回の展示会は、奈良さんの軌跡を追う内容でした。
お約束のパンク少女や犬もよかったですが、私はこの学生時代の絵が気に入りました。
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奈良さんが生まれ育った弘前の、荒涼とした雰囲気がとてもよく伝わってきます。
その後の作品に共通する、あの寂寥感の原点をみたような気がしました。
奈良さんが高校時代にバイトしていた、33 1/3 というライブハウスも再現されていました。
奈良さんは、このライブハウスの内装なども手掛けていたそうです。
ここは、奈良さんが志向する小さなコミュニティの原点とのことでした。
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中に入ると当時の息遣いが感じられて、ちょっとワクワクします。
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今回は、あおもり犬も近くでじっくりと鑑賞しました。
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後ろ姿の寂しい感じがまた、たまらないですね。
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棟方志功とのコラボ展示もあり、ボリュームたっぷりで充実の展示会でした。
そして、これまでの奈良さんの作品群が線でつながったような印象を受けました。
今回、地元の居酒屋や喫茶店、そして八甲田丸から八甲田山と巡ってみて、この土地の自然環境の厳しさと暮らす人たちの生命力の強さといったモノが、とてもよくわかりました。そして、それが奈良さんや棟方志功の作品からにじみ出ているのですね。アートとは、その土地の雰囲気に強く影響されることを、ひしひしと感じることができる旅行でした。
やはり、青森はおもしろいところです。
東北では一番エキゾチックな青森、今回は本当に良い旅で大満足でした。
次回はぜひ、家人を誘って下北半島、恐山のあたりを巡ってみたいと思います。