戦争のこと

今年も、終戦記念日の季節がやってきました。
この時期、TVでも戦争に関する数々の番組が放映されています。
年少の頃より、先の戦争についてはいろいろと見聞してきました。
あらためて、私の戦争に対する考え方を書いてみたいと思います。

直接的には戦争を知らない世代です。

あたり前ですが、リアルの戦争を知らない人間です。
先の戦争のときは、まだ生まれていませんでした。
そして、実際の紛争地域に出向いたこともありません。

ただ、私が子供の頃は、世の大人の半分は戦時体験者でした。
小学校の担任の先生からは、勤労奉仕先での生々しい体験談を聞いたことがあります。
先生の勤労奉仕先では、米軍の機銃掃射で女学生が命を落としたとのことでした。

しかし、いくら体験者の話とはいえ、現実感は乏しかったです。
先生と戦争体験を共有するには、あまりにも世の中が変わりすぎていたのでしょう。
話を聞いて大変だったんだなぁとは思いながらも、どこか遠い世界の話のようでした。
それは、はだしのゲンのような戦争を伝える小説、漫画、映画などに触れた時も同じでした。

そして、やはり百聞は一見に如かずです。
そんな私が初めて戦争を実感できたのは、実際に戦地跡を訪れた時でした。

今でも残る戦地跡

日本国内で今でも戦地跡として残っているのは、次の二か所だと思います。
それは、広島の原爆ドームと、沖縄のひめゆりの塔です。

初めて広島を訪ねたのは、27歳の夏でした。
そこでみた原爆ドームは、それまで写真などでみてきたドームそのものでした。

ドーム自体も、とても凄惨でした。
しかし、それ以上に衝撃的だったのは、ドームの下に散在するガレキでした。
このガレキ、まさに、原爆投下された日が、そのまま残っている感じでした。

あの日、広島の街にはこれら焼けただれたガレキが一面に広がっていたのでしょう。
市井の人が普通に暮らしていた街の上空で、平日の朝っぱらに核爆弾が炸裂です。
しゃれにならない以前に、狂っているとしか思えません。

あの時、たった65kgのウランで、爆心地から半径2kmの範囲が壊滅しました。
半径2kmを今住む街に置き換えれば、その狂気の沙汰が実感できると思います。
まさに、人類史上最悪の殺戮行為です。

広島と同様に、沖縄の戦地跡も強烈でした。
そして、それはとても生々しいモノでした。

ひめゆり平和祈念資料館で再現されている、ガマと呼ばれる鍾乳洞。
ゴツゴツとした岩場で、とても人間が入り込めるとは思えないところです。

こんなところに老若男女、あげくは乳児を抱えた母親までが避難していたとの由。
挙句、爆弾を打ち込まれ、機関銃で撃たれ、火炎放射器で焼かれてです。
資料館からガマの口を見上げて、愕然とするばかりでした。

当時、あんなところに避難された方は、本当にどんな気持ちでだったのでしょうね。
そう思うだけで、心が押しつぶされそうになります。

戦争への向き合い方

戦争については人それぞれ、いろいろな考え方があります。

たとえば、一緒に広島にいった友人は平和祈念館を見学した後に、「日本だって他国を侵略したのに、こんなに被害者ぶるのはおかしい。過ちを犯したのはどっちだ?」と言ってました。

また別の友人は、「こんな殺戮行為を働いた米国を絶対に許さない」と言っています。
原爆投下については人種的な差別が遠因という話も、まことしやかに語られていますね。

でも、ここで国や人種というパラメーターを持ち出すと、本質がみえなくなると思います。
原爆投下にしても沖縄戦にしても、人が人に対して行った行為です。
つまり、時と場合によって、人は人に対してここまで残虐になれるということなのですね。

日本人もアメリカ人も、みんな同じ人間です。
戦争と向き合うにあたっては、まずはこの視点にたつ必要があると思います。

戦争とは、誰もが内包している残虐性

歴史を紐解けば、古今東西、戦争の遠因は貧困です。
貧困が社会不安を生み、それが大きなうねりとなって戦争につながっていくのですね。

昔、小林よりのり氏が戦争論で、戦争とは政治的解決手段のひとつと言ってました。
そう、戦争とは暴力でもって、政治的解決を図る手段です。

暴力による政治的解決には、即効性があります。
ただ、そのためには強力な暴力が必要です。
そして、そのタガが外れた暴力が、狂気とも呼べる凄惨な結果を招くのですね。

追い詰められた人間は、空腹のライオンなど比べ物にならないほど狂暴です。
そして、追い詰められた社会は、早急な解決策を欲します。
それは、痛みに苦しむ末期患者が、モルヒネでも何でもいいから、とにかく早く楽にしてくれと叫ぶのに似ています。

それゆえに、ドイツではナチスが選ばれ、日本では軍部独走となったのでしょう。
当時の社会がそれを欲し、許したのだと思います。
そして、その社会不安は共振し、それが暴力による早急な解決を求め増幅していきます。

その結果、沖縄ではひと月に渡って殺戮が繰り返されました。
そして、最終的には35万人の広島市民の頭上で核爆弾が炸裂なんてことになったのでしょう。
本当に、人間というのはライオンなどとはけた違いに、残虐な生き物だと思います。

そして、その残虐性は、人間誰しもが内包しているモノなのでしょう。
それは、この記事を書いている私にも、そしてそれを読んでいる貴方にも。
アメリカ人にも日本人にも、人間ならば誰しもが内包しているモノなのです。
そして、私たちは戦地跡などを通じて、その残虐性を見つめなくてはいけないと思うのです。

普段は、その残虐性は影を潜めています。
しかし、いざ自分に社会的な危機が迫ると、それはムクムクと目を覚まします。

たとえば、それは飢饉のときであったり、世界的な恐慌のときであったり。
あるいは、昨今のコロナ禍にも、同じような危険を感じます。

このような時にこそ、私たちは強く意識しなくてはいけないですね。
75年前の夏に、沖縄の人たちや広島の街を焼き尽くした、その内包された残虐性を。
そして、その残虐性が数千万人の単位で集積されたときの狂気を。
それが、「過ちは二度と繰り返さない」ということなのだと思います。