原発のこと

2011年3月11日、福島第一原子力発電所で事故が起きました。
原発については、完全に騙されていたと思っています。
絶対に許せないことですし、許すつもりもありません。
あの事故から10年、そんな私の原発に対する考えを書いてみたいと思います。

どうしてこんなことになるのか、理解できませんでした。

福島原発がヤバいという話は、震災翌日の未明に耳にしました。
ただでさえ混乱しているところに、降ってわいたような一報です。
想定外の危機に恐怖するとともに、どうして原発が?と混乱しました。
なぜなら、地震で停電になっても原発は大丈夫という説明を、以前に受けていたからです。

話は、いまから三十数年前に遡ります。
その日、私は大学で材料力学の講義を受けていました。

担当教官は、柔和で誠実な人柄が人気のT教授でした。
その日は最後の講義ということもあり、後半は先生の人生譚でした。

T教授は、東京大学工学部の大学院をでられた秀才です。
原子力の仕事をしたくて、東大に進学されたと仰っていました。

原子力は未来を築く素晴らしい事業だと、先生は信じていたとのことでした。
ところが、実際に携わってみると、最初の予想とはだいぶ違っていたようです。

「具体的には言わないけれど、これはちょっと無理かなって感じだったんですよね。」
と、先生はどこか遠くを見るような目で、意味深に仰られていました。
そして、地元に戻られ、風力発電の研究などをされていたのです。

この先生の原発話を聞きながら、私は講義室の片隅でひそかに衝撃を受けていました。
それは、三十年経った今でも忘れることができません。

当時、原発といえば、この国の粋でした。
名うての秀才たちが検討に検討を重ね、慎重かつ誠実に作り上げた絶対に間違いのないモノ。
原発に関する書籍や大人たちの言動で、子どものころからずっとそう信じていました。

そんな私の幻想を、T教授は見事に打ち砕いてくれました。
先生の人柄や実際に原子力に携わったという実績からも、発言には説得力があります。
そしてなによりも、先生の含みのある言い回しが、とても気になったのでした。

講義から数日たっても、先生の話は脳裏に焼き付き離れません。
こうなったら、百聞は一見に如かずです。
まずはその原発とやらを、実際に見てみようと思い立ちました。

地震が起きて停電になっても大丈夫と書いてありました。

調べてみると、福島に原発があることが分かりました。
手の届かないところにあるようで、実は意外にも日帰り圏内に存在していた原発。
ということで、ある梅雨の晴れ間の日曜日、私は双葉町に向けてBikeを走らせたのでした。

実際に行ってみると、発電所内は関係者以外、立ち入り禁止でした。
ただ、原発自体は、隣接する公園の高台から眺めることができました。

コンクリートの四角い建屋が四つ、海沿いに並んでしました。
当時はペイントはなく、無機質な白色の建屋でした。
初めて見る原発、ああ、これがこの国の技術の粋なのかと、感激したのを覚えていますね。

公園には、原発の資料館が併設されていました。
発電所が立ち入り禁止の代わりに、ここで疑似的な見学ができるようです。
資料館の真ん中には、原寸大の原子炉の精密な模型が展示されていました。

初めて見る原子炉(の模型)は、思いの外小さかったです。
模型はシースルーで、中身が詳しく分かるようになっていました。
また、手元のボタンで制御棒を上下させることもできました。

模型の前には、原子炉の説明があります。
その中に、原子炉は地震で停電が起きても大丈夫という一文がありました。

なんでも、原子炉は制御棒を落とせば停止するのだそうです。
そして、その制御棒は吊り下げ式、なので停電でも重力で落とせるということでした。

この完璧なフールプルーフ設計に、若い私はとても感動しました。
やはり、原発は、この国の秀才が築き上げた粋だったのです。
そして、あのT教授の発言は、なにか個人的な人間関係の話だったのかなと思ったのでした。

その日、資料館を訪れていたのは、私一人でした。
帰り際、受付のお姉さんから、びっくりするほどたくさんのノベルティを手渡されました。
そのときの下敷きは、いまも手元に残っていたりします。

東電は、私を騙していました。

そして、それから二十数年後のあの惨状です。
制御棒が下りれば停まるハズなのにと、最初は本当にワケが分かりませんでした。

その後、原発はポンプで水を回し続けないと壊れることを知ります。
つまり、制御棒を下しただけでは、原子炉は停止しないのですね。
結局、あの資料館の説明はウソだったのでした。

ここにきてようやく、私はT教授の真意を知ることになります。
確かに、これではちょっと無理かなって感じですね。
要は、原発とは、世間にウソをつかなくては稼働できないような代物なのでした。

という原発の現実からすると、その再稼働にはとても賛成できませんね。
もちろん、エネルギーの問題は大切だと思います。
でも、こんなダメシステムを稼働させてまで解決する必要はないですね。

エネルギー問題については、消費側の効率をいまの2倍にすればいいでしょう。
であれば、必要なエネルギーは、いまの半分ですむハズです。
これが、現実的な解決策だと思います。

ちなみに、事故があれで済んだのは運がよかったからです。
2号機の圧力が落ちて格納容器の破裂が免れた理由は、まだよくわかっていません。
なんとも、戦慄させられる話ですね。

ただ、あの格納容器については、もっと評価されてよいと思います。
あれは、T教授のように逡巡した原子力技術者たちの、唯一の良心のような気がします。

福島原発を訪れたあの日、双葉町には静かな時間が流れていました。
原子力明るい未来のエネルギーの看板はキラキラと輝き、夜ノ森の桜並木が美しかったです。
そして、あの素敵な風景は、いまは私の思い出の中だけに存在します。
つくづく、タダより高いモノはないと思うばかりですね。