フリーランスとサラリーマン
西原理恵子さんの本を読みました。
そして、自身の仕事に対する考え方がずいぶんと変わったことに気づきました。
フリーランスになって1年と8か月、サラリーマン気質は完全に抜けきったようです。
共感の中身が変わりました
西原恵理子さんの、この世で一番大切な「カネ」の話という本を読みました。
西原ファンの配偶者が、仕事部屋の本棚に置いていた本です。
今までは、あまり彼女の作品は読まないできました。
しかし、今回は背表紙をみた時からなぜか気になり、手に取ってみたのでした。
内容は、西原さんが自身のエキセントリックな経歴を軸に、おカネを語るというモノです。
西原さんの本は、一般的にそのエキセントリックな経歴が注目されるようです。
しかし、私は今回、彼女がフリーのイラストレーター、そして漫画家として独り立ちする経緯に、すごく共感を覚えたのでした。
彼女の独り立ちまでの経緯を要約すると、以下の通りです。
- まずはガンガン営業をかけて、どんな仕事でも受けてみる。
- そして、その中から自分の方向性を決めていく。
- 少しづつ工夫を積み重ねて、自身の付加価値を高めていく。
- そして何よりも、自分はこれで稼いでいくんだという意識を強く持つ。
フリーランスあるあるですね。
それと、仕事の目標が売上金額というところにも、凄く共感できました。
西原さんは、月に30万円稼ぐのを当面の目標にされていたようです。
私もフリーランスになって以降、仕事の目標は常に金額です。
まずは〇円、達成したら次は〇円と、少しづつ実績を伸ばしてきました。
プログラマーやブログで稼ぐフリーランスな方々の語録をみても、この辺りは異口同音です。
フリーランスな一匹狼の真髄は、今も昔も変わっていないのですね。
いずれにしても、西原さんの独り立ち経緯に、ここまで共感できることに驚きました。
私のマインドも、すっかりフリーランスのそれに変わってしまったようです。
28年間、サラリーマンをしていました
そんな私も、2年前まではサラリーマンでした。
新卒からずっとサラリーマンでしたから、28年のキャリアです。
あらためて振り返るに、当時の仕事に対するマインドは、今とはだいぶ違ってましたね。
まずは、稼ぐという意識が皆無でした。
月の目標を金額で設定したこともありません。
もちろん、営業をしていたときは売上目標なるものはありましたけど。
しかし、それはあくまで会社のモノ、自分自身のモノという意識はなかったですね。
売上目標とはいえ、それは製造部門におけるQCDの代わりのような感じでした。
まぁ、それは仕方のないことですね。
なぜなら、サラリーマンは給料制ですから。
いくら努力しようが稼ごうが、もらえる給料は同じです。
ボーナスだって、現実はほぼ横並びですしね。
仕事の実績と収入がダイレクトに比例するフリーランスとは、ここが決定的に違います。
これで稼ぐ意識を持てといわれても、土台無理な話ですね。
もちろん、サラリーマンの世界でも仕事ができることが絶対です。
しかし、この【仕事ができる 】 の内容が、フリーランスとは全く違うのですね。
サラリーマンの仕事に対する価値観
サラリーマンの世界でも、仕事はできる・できないが全てです。
営業なら売上、製造部門ならQCD、管理部門なら正確性とスピードなど。
これらの数値が高い人ほど、仕事ができる人ということになります。
ただ、実績をあげる目的がフリーランスとサラリーマンでは違います。
フリーランスは、自身の収入アップのために実績をあげます。
フリーランスにとって、売上もQCDも生産性もすべては収入のためです。
それに対して、サラリーマンは組織から承認されるために実績をあげるのです。
繰り返しですが、多少実績を上げたところで、サラリーマンは収入が変わりません。
サラリーマンにとって、収入よりも地位が大切です
要は、支配する側かされる側かということですね。
会社組織というのは、ひとつの社会です。
そんな組織社会における地位というのは、非常に重要です。
ぶっちゃけ、生きるか死ぬかにかかわる部分であったりします。
なので、サラリーマンの仕事に対する姿勢は、どこか屈折したところがあると思います。
組織から承認されるとなると、ただ実績をあげればよいという話でもありません。
ぶっちゃけ、上司へのゴマすりも必要でしょう。
いや、必要というよりも必須ですね。
今の時代なら、上司だけではなく部下への忖度も必要かもしれません。
もっというと、忖度技術が優れていれば、実績がほどほどでもそこそこあがれる世界です。
収入は完璧に保証されていますから、腰を据えて忖度活動に勤しむこともできます。
ここが、ただひたすら泥臭く稼ぎを追い求めるフリーランスとの決定的な違いですね。
なので、フリーランスにはただの無駄にしか見えないような以下の活動、
- 飲み会やそれの仕切り
- 週末のゴルフ
- 上司や部下とのたわいない雑談、etc
これらも、サラリーマンにとっては大切だったりするのですね。
立場が変われば論理も変わります。
社会主義の論理が資本主義に通じないのと同じです。
さて、それではそんなサラリーマンとフリーランスの世界、どちらがいいのでしょう?
以下に、両方を体験した私の意見を書いてみたいと思います。
絶対的に安定しているからこそできること
フリーランスになったばかりのころは、その自由な世界に感動しました。
いつ働こうが休もうが、すべては自分の手の内です。
休みを取るのに許可がいらないのは、幼稚園から組織に属していた者として最高でした。
仕事に対する姿勢も、180度変わりました。
なんといっても、実績が収入に連動する世界です。
これまで意識してこなかった生産性も、シビアに追求するようになりました。
取捨選択も、いまはどちらが稼げるかで決めています。
そうやって実績と収益が伸びていくのは、無上の喜びですね。
そしてなによりも、自分マターになりました。
お客様のためとか、あるいは世のため人のためとか、ぶっちゃけ二の次です。
あくまで、仕事をするのは自分自身のためという感じです。
ずいぶんと守銭奴になったなぁって感じもします。
時間が自由になった代わりに、お金に縛られるようになったのかもしれません。
そして最近は、お金に縛られないのがサラリーマンの強みかなと思ったりもします。
- たとえば、お客様のためにがんばるとか。
- あるいは、世の中をよくするためとか。
絶対的に安定している立場ゆえの領域ですね。
そう考えると、サラリーマンもそんなに悪くないのかもしれません。
でも、もうサラリーマンには戻れない
サラリーマンは、何も考えなくても収入が確約されているのは大きいですね。
若い頃は、日々の糧にあくせくしながら生きるなど、まっぴらごめんと思ってました。
サラリーマンは、社会的な信用も高いです。
クレカなも、サクッと作れます。
住宅ローンも一発です。
地域や世間とのつきあいでも、その辺りは如実に感じます。
ネットもなかった1980~90年代は、サラリーマンが最善の道でした。
私も、そうと信じて長くサラリーマンをやってきました。
でも、一度フリーランスを体験すると、もうサラリーマンには戻れませんね。
日々の糧にあくせくする生き方も、逆にシンプルですがすがしいです。
そもそも、自由を愛するオートバイ乗りにはフリーランスの方がしっくりくるのでしょう。
私のオートバイ友だちも、フリーランスの方が多いです。
そして稼ぎが安定してくれば、守銭奴感覚もなくなってくるのでしょう。
そんなレベルに到達するまで、引き続き精進していきたいと思います。