サラリーマン時代のお話-その2

今の仕事をはじめる前は、30年近くサラリーマンをしていました。
いまとなっては懐かしい会社員時代です。
そのときの思い出話、第二弾を書いてみたいと思います。

サラリーマン時代のお話-その1はこちら

仕事がありませんでした。

三ケ月の研修期間を経て私が配属されたのは、ある事業部の開発設計部門でした。
その事業部では、親会社とは無関係のオリジナルの事業を展開していました。
売上で4~5億円、社員数で40~50名ぐらいの事業部だったと思います。
そこでスキャナ開発をしている部門に、私は新入社員として配属されたのでした。

そのスキャナ開発課は、課員数が10名前後だったと思います。
40代の課長を筆頭に30代の係長が一人、あとは全員が20代という若い組織でした。
課内は、製品別に3つのグループに分かれていました。
その中のあるグループから、私のサラリーマン人生がスタートしました。

私が入った当初は、ちょうど新製品の立ち上げ時期で、そこそこ忙しかったです。
しかし、しばらくして立ち上げが落ち着くと、仕事らしい仕事はなくなりました。
ぶっちゃけ、会社に行ってもやることがなにもない状態です。

ということで、毎日先輩たちと喫煙室で雑談にふけるような日々を送っていました。
雑談に飽きると資料室に籠って本を読んだり、実験室のパソコンでプログラミンをしたり。
MS-BASICでゲームソフトなどを作り上げ、一人悦に浸ってました。

仕事はたまに治具の設計を頼まれるぐらいで、本当にお気軽なサラリーマン生活でしたね。
あまりにもヒマなので、有休を使ってオートバイの限定解除に挑戦したりしました。
仕事が終わった後は先輩たちとボーリングに興じたり、遊びまくっていましたね。

結局、当時は仕事のあるなしに関わらず、ただただ人を採用しまくっていたのでしょう。
本当に、古きよきバブル時代の想い出というヤツですね。
日本のサラリーマンの誰もが、この世の春を謳歌していたころだったと思います。

3年目に転機が訪れました。

そんな感じで、入社から2年ぐらいは学生気分のままだった私でしたが。
3年目に、所属するグループが変わりました。
グループを率いるのは若きエースのSさん、連日深夜までバリバリ仕事をする猛者です。
そして、なぜかそんなSさんに、私は気に入られていたのでした。

Sさんのグループでやっていけるのかと、最初は不安もありましたが。
ところが、これが自分でもビックリするぐらいに、仕事にハマりましたね。

メカ設計者として新製品の開発を任されて、夢中になって図面を描きました。
Sさんとの仕事はとても楽しく、連日午前様という状態でしたが痛快でしたね。
図面が完成したら今度は試作品の評価、そして生産ラインに張り付いての量産立ち上げ。
テーマがひとつ終わるころには、いっぱしのメカ設計者に成長していました。

グループに誘ってくれたSさんについては、いまでも仕事人としてリスペクトしています。
そんなSさんと最後に会ってから、もう10年以上の月日が流れました。
たぶん、今年で定年のハズですけれど、いまでもお元気で活躍されていることと思います。

4年目に、またもや大きな転機です。

入社して4年目に、所属していたスキャナ開発課の課長が変わりました。
新しい課長は、お隣のプリンタ開発課のN次長。
それまでの課長の転任に伴い、N次長がスキャナ開発を兼任することになりました。

それで、このN次長が、これが出世街道まっしぐらのイケイケな若き次長さんでして。
これまたそのN次長に気に入られた私は、彼の古巣のプリンタ開発課に異動になります。

そのプリンタ開発課は、それまでのスキャナ開発課と違ってベテランの猛者揃い。
本当にやっていけるのかと不安もあったモノの、ふたを開けたらこれまた楽しくて。
プロト機開発から既存機の設計変更、あるいは新製品開発に量産治具や評価装置の設計など。
とにかく、当時は図面を描きまくっていた感じでしたね。

スキャナと違ってプリンタは機構が複雑なので、メカ設計者としてもやり甲斐がありました。
同じメカ設計主審の強面なO課長にも気に入ってもらい、充実の技術者生活でしたね。
とにかく、このメカ設計の仕事は、私にとっての天職という感じでした。
たぶん、私のサラリーマン人生で、いちばん光り輝いていた時期だと思います。

あの頃は、このまま幸せなサラリーマン人生が続くと信じていました。
しかし、よい時期というのは続いて3年ですね。
まもなく、私にとって一大転機となる出来事が起こるのでした。

次回に続く