サラリーマン時代のお話-その1
今の仕事をはじめる前は、30年近くサラリーマンをしていました。
いまとなっては懐かしい会社員時代です。
そのときの思い出話を、しばらくの間書いてみたいと思います。
大手事務機メーカーの工場に就職しました。
現在、私はマイクロソフトのコールセンターオペレーターをしています。
コールセンターと業務委託契約を結び、在宅で個人事業主として働いています。
そんな私も、この仕事を始める前は普通にサラリーマンをしていました。
そのキャリアは、28年ちかくになります。
先日、昔の写真を眺めていたら、スーツ姿の自分がでてきました。
当時は、こんな格好をして全国津々浦々飛び回っていたなぁと懐かしくなりましたね。
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そんな私のキャリア事始めは、とある大手事務機メーカーの工場です。
メーカーの子会社という位置づけで、コピー機などを製造している会社でした。
ちょうど私が生まれた年に、地元が誘致して建てられた工場です。
その工場は、東北本線沿いにあります。
子どものころ、電車で仙台に行くときに否が応でも車窓から目に飛び込んでくる工場でした。
こんな田舎にちょっと場違いな感じの建物群だなと、そのころから思っていたモノです。
もちろん、将来自分がここに勤めるようになるとは、夢にも思っていませんでした。
それで結局、大学を卒業した私は地元希望というコトで、そこに就職することになります。
当時はバブルの真っ盛り、都会の大手企業に入ることも全然可能な時代でした。
就職担当の教官からは、「え、地元希望なの?」と驚かれたモノです。
しかし、私には好きなBikeやクルマに囲まれてのんびり生きるというビジョンがありました。
これを実現するためには、実家から通える地元就職が最善の道ですね。
下手に都会の会社に就職したら、”住”の確保だけで人生が終わってしまいそうな感じです。
でも、実家通いをすれば、お金をためて自分の好きなことができますね。
ということで、非常によこしまで現実路線だった私の就職活動です。
ぶっちゃけ、入った会社には何も期待していませんでした。
正直、出勤した分、お給料がもらえればいいかなぁという感じですね。
こんな事をいっては何ですが、半分アルバイト気分でした。
期待せずに入ってみたら、意外に良い会社でした。
就職した会社は、当時で従業員が約1200名、売上高は500億円弱でした。
子会社とはいえ、地元では一番の大会社でしたね。
就職当時はピンときませんでしたが、この強みがあとからよくわかるようになります。
ちなみに親会社は、主軸の事務機の他にもいろいろな事業を行っていました。
具体的には、カメラや時計、半導体、あるいは電気メータなどなど。
これは当時の大企業の定番スタイルではありますが、でもどれも中途半端な内容でしたね。
ですので、この企業ブランドには、まったく魅力を感じていなかったのです。
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しかし、この企業には、最強の金のなる木があったのですね。
そして、いち早く選択と集中路線にかじを切り、躍進していきます。
日本で最初に"リストラ"という言葉を使ったのも、この企業でした。
そのために、私が在籍していた間は、かなり美味しい思いをさせてもらったと思っています。
このあたりも、この会社を離れてから、あらためて強く感じた部分ですね。
この部分については、あとから詳しく書こうと思っています。
作業服に、軽いカルチャーショックを感じました。
入社して、最初に連れていかれたのは広大な更衣室でした。
そこで、手渡された上下白色の作業着に着替えました。
工業勤務なら作業着というのは、ある程度覚悟はしていましたけど。
でも、ファッションに少しうるさかった当時の私としてはショックでしたね。
ちなみに、社員の中にはこの作業服を着たまま通勤する者も多数いましたけど。
それだけは絶対に嫌だと、在籍していた18年間で制服通勤は一回もなしです。
これは、社会人としての私の、ささやかなこだわりのひとつでした。
ただ、この作業着を着ることで、会社の一員になった感は強くなりましたね。
そしてだんだん、人の価値は着ている服で決まるモノではないなと思うようにもなりました。
そういう意味でいくと、この作業服の体験も悪くなかったなぁと思っています。
![](https://webiker.org/wp-content/uploads/2022/02/IMG_20210213_111630-1024x768.jpg)
そして、三か月間の研修期間を経て、いよいよ配属となりました。
配属先は、とある事業部の開発設計部門です。
まずは希望していた開発の部署ということで、ほっと一安心でしたね。
事業部は、その会社の新規の事業部でした。
親会社とはまったく何の関係もない、子会社オリジナルの事業を展開している部門です。
万年赤字という部分がすこし気になりましたが、事業部自体は若くて活気がありました。
そこで、私はなかなか幸せな会社員生活をスタートさせることになります。
次回に続く。