私のクルマ遍歴 – 4台目編
私のクルマ遍歴も、ここから後編です。
4台目は、原点復帰で走り系のモデルでした。
そしてこのクルマには、私の私生活の変化が大きく影響しています。
あらためて思うに、クルマとは人生のそのときどきを映し出す鏡なのかもしれないですね。
※1~2台目の記事は、こちらです。
※3台目の記事は、こちらです。
※5台目の記事は、こちらです。
※6代目の記事は。こちらです。
15万kmでガタガタになりました。
お気に入りだったNewサーブ900も、気づけば走行距離が15万km越えです。
そして、このあたりから、いろいろとトラブルが出てくるようになりました。
たとえば、インパネのメッセージパネルのドット抜けや、リアフェンダーの腐食などなど。
そして、一番大きい不具合が、ブレーキディスクの摩耗ですね。
修理代は、ぶっちゃけ10万円越えでした。
そして、サーブに乗っている間に、私生活にも大きな変化がありました。
それは、結婚して所帯を持ったことです。
1999年11月、私は気楽な独身生活にピリオドを打ったのでした。
いま考えると、独身時分は本当にお気軽でした。
サーブの次はいよいよBMWか、あるいはメルセデスか。
果てはポルシェもマジでありだと、のん気に考えていました。
しかし、所帯持ちともなると、そんな浮世離れなことも言っていられなくなります。
それは、サーブの修理代を告げたときの、妻の表情で悟りました。
私のクルマ好きをよくわかっている妻ですが、さすがに限界だったようですね。
ということで、図らずしも4台目の検討に入ることにしました。
そして、4台目はユニクロで服を買うような感覚で決めてしまいました。
拘り続けたクルマをこんな風に決めてしまうとは、自分でも驚くばかりでしたね。
4台目は、マツダファミリア スポルト20です。
ちなみに、4台目はマツダファミリアのスポルト20(後期型)です。
あの、S-ワゴンファミリアのスポーツバージョンですね。
S-ワゴンは、バブル崩壊後に倒産しかけたマツダが起死回生でリリースしたモデルです。
当時は、オーバーハング部をサムライが切断するCMがガンガン流れていましたね。
でも、正直興味はありませんでしたし、スポルトというモデルの存在も知りませんでした。
実はこのクルマ、生まれて初めて口コミだけで選んだクルマだったりします。
雑誌記事はおろか、カタログもよく見ずに決めてしまったのでした。
もともと、このクルマについては、クルマ好きの同僚がとてもいいと絶賛していて。
でも、そのときは興味半分で聞き流していて。
その後、当時妻が乗っていたデミオの車検でマツダに行った際にその話になり。
そのまま試乗になって、あれよあれよという間に決まってしまったのですね。
あのときは、妻の後押しも大きかったように思います。
当時、私は片道70kmの長距離通勤でした。
妻としては、ポンコツサーブでの通勤に心配な部分もあったようです。
それで、本当はもう少し普通のクルマでもよかったのでしょうけど。
でも、クルマ好きな私のために、彼女はスポルトにOKを出してくれたのでした。
納車は、2002年6月9日です。
この頃になるとカメラもデジカメなので、データもいろいろ残っていますね。
梅雨の晴れ間の、初夏を思わせるような日でした。
なぜか、この日のことはよく覚えていますね。
見た目は、ごくごく普通の日本車でした。
このスポルト、ベースはマツダファミリアです。
それまでのサーブと比べると、ごくごく一般的な日本車ですね。
正直、ランクダウンしてしまったなぁという想いは、少なからずありました。
たとえば、後部ドア下のスポルト20というステッカーとか、ぶっちゃけダサいですよね。
内装も、サーブのそれと比べるとチープさは否めません。
ステアリングは本革ですが、黒とシルバーのツートンがなんとも微妙でしたね。
メーターは白地で夜間はレッドに光る、とてもアグレッシブなデザインです。
真ん中がスピードでレイアウト的には好みでしたが、サーブのような優雅さはないですね。
また、時計がオーディオにビルトインなのは、仕方がないとはいえ残念でした。
サーブで重宝した外気温計がなかったので、外付けで対処しました。
この頃は、通勤で毎日峠越えです。
道路が凍結しているかどうかを知るために、外気温計はマストアイテムでした。
想像以上の韋駄天でした。
ということで、当初はサーブほどの所有感は得られないと思われたS-ワゴンでしたが。
しかしこのクルマ、走りの性能がめちゃくちゃよかったのですね。
それは、サーブへの未練を払拭するのに十分すぎるモノでした。
まずは、170psの2.0Lエンジンがパワフルでしたね。
アクセルを踏み込むと、あっという間にメーターを振り切ってリミッターです。
また、ハンドリングが超絶よかったですね。
オン・ザ・レール感覚で、高速域でもビシッとラインをトレースできます。
足回りもなかなかで、リミッターが効くような領域でも不安は一切ありませんでした。
これについては、本当に素晴らしいの一言でしたね。
もちろん、いくら走りがよいといっても、ポルシェのレベルではないですけど。
でも、BMWの328ぐらいだったら、ぜんぜん引けを取らない感じでしたね。
BMWが500万円のところ、220万円でこのパフォーマンスはコスパ高いと思いました。
スピードが出るクルマなので、事故もありました。
高速のトンネルを抜けたらそこは雪景色、あれはビビりましたね。
左側のテールライトが粉砕するぐらいで済んで、あの時はラッキーでした。
強運のクルマでしたが、スピードの出しすぎには注意です。
家族との想い出がつまったクルマでした。
また、スポルトは日本車なので、いろいろな意味で安心でした。
パーツもすぐに手に入りますし、修理代なども安いです。
長距離通勤で乗り潰すなら、これしかないという感じでしたね。
そして、このクルマで一番感慨深かったのは、妻と二人で選んだというところです。
二人でコツコツとためたお金で手に入れたというトコロに、ちょっと感動しましたね。
納車の日のことをよく覚えているのは、たぶんそれが理由だと思います。
このクルマを購入した2年後に、息子が生まれました。
年少の彼は、このスポルトのことを「青いクルマ」といって、喜んで乗ってくれましたね。
家族三人で、青森や弘前、横浜やディズニーランドなど、あちらこちらに出かけました。
基本的に走りが抜群なので、幼児連れの長距離もまったくもって快適でしたね。
5年間で12万kmほど乗りました。
雨の日も風の日も、そして雪の日も、片道70kmの通勤をがんばってくれました。
フロントの塗装が剥げるほどに、よく乗り込んだと思います。
リアフェンダーが腐食してきたら、そろそろお別れのときですね。
マツダファミリア スポルト20、いまでも隠れ名車と信じてやみません。
いまさらではありますが、もう少し大切に乗ればよかったと後悔するばかりです。