サラリーマン時代のお話-その7

今の仕事をはじめる前は、30年近くサラリーマンをしていました。
いまとなっては懐かしい会社員時代です。
そのときの思い出話、第七弾は想定外だった転職体験記です。

サラリーマン時代のお話-その6はこちら

約1年間の転職活動でした。

2011年9月、会社の解散にあわせて、私は転職することになります。
退職日は9月末でしたが、有休消化で実際に会社を離れたのは8月末でした。

最終日のことは、あまりよく覚えていません。
会社自体が終戦処理の状態で、お世話になった人への挨拶もなかったような気がします。
もちろん、送別会などもありませんでした。

帰宅すると、配偶者が花束を準備していてくれていました。
これは、とても嬉しかったですね。
これまでのがんばりが、はじめて認められたような気がしました。

会社都合で退職できたので、失業保険はすぐに支給です。
行政書士の試験準備をしながら、しばらくは主夫業に専念することにしました。

月に数回、ハローワークで失業保険の手続きついでに仕事探しをしてみたり。
近くの山にハイキングにいったり、あるいは朝一からスーパー銭湯でくつろいだり。
人生で初めての、無職者生活を満喫しました。

その後、11月に行政書士の試験が終わり、これはまぁ失敗してしまうワケですが。
そこから、すこし本腰を入れて仕事探しを始めます。
3ヶ月の休養で、気持ちのほうもすごく前向きになっていました。

ただ、仕事探しのほうは、やはり難航しましたね。
とにかく、地元で働ければと、トータルで20社近くに履歴書を送ったと思います。
業種も、製造業からIT企業、はては福祉関係から教育機関までチャレンジしました。
しかし、そのほとんどは撃沈でしたね。

今にして思えば、転職は縁とタイミング次第のモノなのですけど。
でも、これだけ不採用が続くと、さすがに精神的にへこみます。
何のとりえもない45歳男性など、やはり無価値なのかなと思ってしまいますからね。

そして、約3ヶ月の転職活動を経て、なんとか地元のシステム会社に再就職が決まります。
ところが、私の転職活動は、これで終わりではないのでした。

中小企業の現実は、きびしかったです。

2012年の4月から勤め始めたシステム会社は、しかしすぐの6月に退職することになります。
理由は、適応能力が不足しているとのことで、ぶっちゃけとても理不尽でしたね。

その会社は、とある営業担当の取締役がワンマン的に牛耳っているようなところでした。
どうやら、私はその取締役から嫌われてしまったようでしたね。
こちらとしては、ようやく転職できたところだったので、ショックでした。
ただ、あのまま居続けても、もはや居場所はないような感じでしたね。

事前通告なしの退職ということで、会社からはひと月分の給与をもらって辞めました。
そして、事の顛末を労務局に報告、やはりこのような被害は最小限にしたいですからね。
あの会社は、あれからしばらくハローワークに求人を出せなかったと思います。

ということで、転職活動はまたふりだしに戻ります。
このとき、失業保険が再適用されたのは助かりましたね。
そして、2012年の9月に、地元のモーター製造会社に再々就職が決まりました。
結局、最初の会社を辞めてから次の仕事が見つかるまで、丸一年かかりました。

ちなみに、その再々就職先も、3代目の若い社長がワンマン経営しているところでした。
結局、中小の企業というのは、誰かがワンマンで牛耳っているモノなのですね。
今度は、なんとかそのワンマン社長に気に入ってもらうことができました。
そして、社長室長という肩書をいただき、とにかくいろいろな仕事をさせてもらいました。

まずは、手始めに社内システムの開発とIT化推進。
工務管理や購買業務、新規事業の開拓などなど、また採用の仕事も経験しました。
社長はすこしエキセントリックな人でしたが、あの偽善社長よりは100倍マシでしたね。
というか、中小企業の社長はあのぐらいでないと務まらないかもしれないです。

この会社、大好きな製造業ということで、なかなか充実した会社員生活でした。
ただ、残念だったのは、お給料が非常に低かったことですね。
ぶっちゃけ、役職や業務量に対して、完全にアンバランスという感じでした。
正直、このままでは、人生をダメにしてしまう感じでしたね。

折しも、世の中はアベノミクスで景気は上々、中高年の求人も増えていました。
そこで、今度はネットを駆使し、じっくり腰を据えて仕事を探しましたね。
そして、一年かけてこの仕事を見つけ、サラリーマン人生とお別れになりました。

求めているモノは、いつも自由です。

ということで、長らくサラリーマン時代の話を書いてきました。
このように文章にしてみると、自分の過去を客観的にみることができておもしろいです。
そして、あらためてふり返ってみると、私は自由を求めていたことがわかりますね。

若いころは、飯のネタを探す呪縛から自由になるためにサラリーマンをしていました。
しかし、気づけばそれが自由を奪う原因になっていて。
そして、いつの間にか自前で飯のネタを見つけるスキルが身についていた感じですね。

いまは、本当に自由な立場です。
働くのも休むのも、そしてその結果もすべて自分次第です。
会社の駒だったときと比べると、精神的にとても楽ですね。

もちろん、サラリーマン時代も無駄ではありません。
個人ではできない経験をたくさん積みましたし、生きるスキルもアップしました。
ただ、私の生き方からすると、結局は今のスタイルになるのかもしれないですね。

そして、サラリーマンの一番怖いところは、会社依存になってしまうことです。
特に大きい会社ですと、人生そのものをその会社に預けることになりますから。
気づくと、会社なしでは生きていけないとの思い込みに囚われてしまうのですね。

これは、ある意味とても危険なことだと思います。
社畜となって体を壊すまで働いてしまう人がいるのも、これが原因でしょうね。

私も、あぶなくその一歩手前までいくところでした。
しかし、いまの会社に依存しなくても、なんとか生きていけるモノです。
いまとなっては、私は退職も転職も、まったく不安はありません。
それを身につけることができただけでも、会社残留組よりよかったなと思っています。

いずれにしても、働くことは生きていくための一手段。
ですので、そのときどきで、ベストな手段が選べればいいだけの話ですね。
そして、自分にとって一番大切なことを忘れなければ、迷いはなくなると思います。