私のオートバイ履歴(4)

念願のDUCATI 900SSを手に入れた私は多くのライダーがそうであるように、最初の一年は暇さえあれば900SSで走り回る日々。置き場所は、親父が使っていた旧店舗とした。最初から室内保管だったお陰で、24年経った今でも腐食などは殆どない。そして、日々走り回る傍ら始めたのが、これもまたやってみたかったの改造である。

まずは、何とも格好悪いノーマルのプラグコードをテイラーに換装。カウルの隙間からチラッとみえるオレンジのコードが、何ともいい感じである。その後、ホームセンターからホールソーを購入し、クラッチカバーに穴を開ける。当時の雑誌に熱対策が必要とあっての処置であったが、クラッチがグルグル回るのが見えて楽しいというのもまた、穴あけ理由のひとつであった。そしていよいよ、お約束中のお約束であるマフラーである。この時代のDUCATIはテルミが定番の社外マフラーだが、しかし、1992年当時はまだテルミが定番という雰囲気ではなかった。というか、当時の仙台では、テルミの入手ができなかったのである。そこで、900SSを購入したパイパス沿いのBike屋さんから紹介されたのが、RidingHouse のチタン&カーボンマフラーである。

「めちゃ軽いですよ~。」と店員さんから渡されたそれをクルマに詰め込み、実家にて早速取り付け。作りが良いというBike屋の触れ込みの割には右側マフラーの篏合性が今ひとつだったりしたモノの、それが奏でるエキゾーストノートはノーマルマフラーの時とは打って変わり重厚かつ野性的で、非常に満足できるモノであった。このマフラー換装で、ようやくDUCATIを手にした気分になれた。

そして、翌夏のボーナスではシングルシートを購入。純正のSLシートも考えたのだが、よりグラマラスなRidingHouse製を選択し、パンタレーシングのイメージに倣ってレッド&イエローに着色して貰った。

入手して早速、シングルシートを手にしたら必ずそうしようと思っていたウィンカーの埋め込みを実施。フィアットの丸形ウィンカーを埋め込むのがパンタ系の定番なのだが、RidingHouseシートとのマッチングを考えキジマの小型ウィンカーを選択。最後にsuperbikeと900ssの純正ステッカーを取り寄せて貼り付け、大体イメージ通りに仕上がった。

その他にもダイノジェットにAERAステップ、前後カーボンフェンダーなど、色々と手を入れた。最終的にはFCRにホイール換装まで視野に入れていたのだが、諸般の事情で実施せずに現在に至る。まぁ、完全なる自己満足の盆栽仕様だが、これで北は北海道から南は広島まで、浜松、能登、首都高遠征数回と、全国津々浦々を走り回った。春は弘前、秋は三陸、月に一度の喜多方ラーメンツー、どれもこれも良い思い出である。

結婚後、5年ぐらい別居状態だったが、新居を建てたタイミングで呼び寄せた。今までの大きなトラブルは3件。乗り始めて15年目でフロントフォークからのオイル漏れ、次は19年目にエンジンスタッドボルトの折損。この時はエンジンオーバーホールで30万円近い出費であった。そして一昨年、22年目にして痛恨の転倒を喫する。右カウルに穴が開きAERAステップが再起不能レベルに損傷したが、一年かけて何とか復旧する事ができた。それにしても、基本的には堅牢なBikeだと思う。というか、イタリア製が弱いのではなく日本製の耐久性や信頼性が異様に高いだけなのだろうというのが、四半世紀付き合ってみての私の感想である。

それと、トラブルとしては番外かもしれないが、最初にお世話になった仙台のBike屋さんも紆余曲折、今はもう存在しない。現在は、今住む街の専門店にお世話になっているので問題はないのだが、四半世紀も乗ってると本当に色々な事が起きるモノだと思うばかりである。

カウルに貼られたステッカー。村山モータースから始まったこれらもまた、ひとつの歴史である。ステッカー一枚一枚に、その時々の想いと走りが詰まっているのだ。24年前の納車の日、保険屋のWさんが仰っていたお互いに良い感じで歳をとる関係が、ありがたい事に続いている。1992年製 DUCATI 900SS、ささやかな私の宝物。これから先、20年後も30年後も、ずっと私の良い相棒でいてくれるようにと願っている。