キリンという漫画のこと

キリンという、Bike漫画があります。
巷では、オートバイ乗りのバイブルとまで言われている漫画です。
実際、バイブルかどうかは分かりませんが、私はかなりの影響を受けました。
50才を過ぎた今でも、Bikeなんかで走り回ったりしているのは、この漫画のせいです。
今回は、そんなキリンという漫画について、想うことを書いてみたいと思います。

Bike雑誌に連載されていました。

キリンという、知る人ぞ知るBike漫画があります。
ミスターバイクBG という中古バイク雑誌に、1987年1月から連載されていました。
作者は東本昌平さん、大友克洋さんの元アシスタントさんで、作風は少しAKIRAチックです。
もちろん、そんな東本さんも、バリバリのBike乗りですね。

キリンの連載が始まったとき、私は大学一年生でした。
掲載紙のミスターバイクBGを購読していたので、リアルタイムの読者です。

連載開始からしばらくは、退屈な展開が続きました。
キリンと呼ばれるおっさんが、若い女性とセックスしたり絡んできた若者を殴ったり。
そんなグダグダが一年半ほど続いて、ようやくあの東名バトル話が始まります。
このあたりから、物語は一気に盛り上がってくるのですね。

それでその東名バトル話、まずはその走りの描写が超絶リアルなのに驚嘆しました。
あれは、実際にBikeに乗る人なら、誰しもが認めるところだと思います。

また、この東名バトル話は、意味深なポエムが場を盛り上げます。
まだまだ精神的に小僧だった私は、この世界観に完全にやられてしまいました。
いつか、私もこんなことをしてみたい!
そんなことを思いつつ、就職一年目の夏に、最初の連載が終了したのでした。

あいつとララバイのリアル版

連載終了から一年後、仕事帰りの書店で続編ががリリースされていることを知ります。
もちろん、喜び勇んで購入したことは言うまででもありません。
そして、それから長らく単行本を買い続けることになります。

ちなみに、ポエム風だった前シリーズに対して、続編はエッセイ風でした。
そこでは、いろいろなBike乗りのエピソードが、同時進行的に語られていきます。

それで、この続編がまた、とてもリアルなのですよね。
たとえば、限定解除のシーンひとつとっても、そこに至るまでの展開があるあるです。

人がBikeに憧れ乗り始めるところ、そして、いろいろあって降りるところもリアルですね。
滅茶苦茶な運転を続けた挙句、すべてを失う現実もキチンと描かれています。
そしてなによりも、登場人物らのBikeに対するスタンスに、とても共感できるのですね。

この作品のことを、おとぎ話と評した友人がいました。
私は、あいつとララバイのリアル版だと思っています。
リアルに研二クンの世界を目指した先にあるモノが、キリンのような気がしています。

すべてのBikeファンにとってのバイブルではありません。

ということで、Bike乗りなら誰でもハマって当たり前だと思えるキリンなのですが。
しかし、実際はそうでもないところが、また面白いトコロです。

20代の頃、一緒にロングツーリングをするようなBike友達が何人かいました。
そんな彼らに、私は自信をもってキリンを勧めました。
しかし、彼らの感想は、「よくわからない」というモノでした。

これには、正直戸惑いましたね。
ただ、彼らのBikeに対するスタンスに、微妙な違和感を感じていたのも事実です。

そんな私に、キリンの世界観が共有できる仲間ができるのは30代になってからです。
彼らとは、Yahoo!掲示板のキリン板で知り合いました。
さすが、インターネットの世界は広くて深いと思いましたね。

オートバイは不良の乗り物

そのキリン板で知り合った奴らは、ぶっちゃけ変わり者ぞろいでした。
基本的にはいい人たちなのですが、Bikeに対してはとてもコアです。
そして、ちょっと危ない感じの人たちでした。

自己顕示欲と偏執狂のかたまりのライダーを稚拙なプロットで描いた漫画。
くだんのキリン板に、こんなことを書き込んだ人がいました。
稚拙なプロットかどうかは知りませんが、ある意味本質を言い当てていると思いますね。

結局、Bikeなんかに夢中になるような輩は、ロクデナシということなのでしょう。
程度の差こそあれ、Bikeに触れているときの心のベクトルはそこなのだと思います。

1970年代、Bikeは暴走族という不良が乗る乗り物でした。
まっとうな人間は、見たり触れたりしてはいけないモノという雰囲気すらありました。

そのような中、1980年代に登場した正統派ライダーという言葉は刺激的でした。
それからのBike界隈は、この正統派ライダーを求めて右往左往していたように思います。

正統派ライダーに対する答えのひとつは、バリバリ伝説でした。
要は、サーキットで合法的にスピードを追求するスタイルです。

でも、現実には誰もがサーキットを走れるワケではありませんでした。
また、多くのライダーも、サーキットでタイムを刻みたいワケではなかったように思います。
それよりも、もっと単純に、大きいBikeでぶっ飛ばしたいなのでした。

結局は、ロマンチックな自己満足を満たしてくれればよかったのですね。
正統派ライダーが謳われて10年、やっぱりBikeは不良の乗り物だったのだと思います。
特攻服がライディングスーツに変わっただけで、本質は何も変わらなかったのでしょう。

大馬力で狂ったようなスピードの出るレプリカは、まさに自己満足と顕示欲の象徴でした。
そして、甘美なまでのロマンチシズムな世界ですね。
そんなBike乗りの本質を突いたのが本作であり、それゆえにあれだけウケたのだと思います。

不良の哀愁と矜持を謳った作品

ということでこの作品、不良性を内包するロマンチストには、たまらないモノがありますね。
そして、そうでない人には、よくわからない話になるのでしょう。

そして、本作にハマる私もまた、ロマンチストな不良人間ということになりますね。
もちろん、見た目はどこにでもいる善良な一市民ですけど。
でも、隠された本性のひとつに、暴走族のアンちゃん気質があるのだろうなぁと思います。

ということで、そんな愛すべき不良たちの、哀愁と矜持が詰まったこの作品。
この先も私の傍らで、人生の癒しになってくれるモノと思っています。

なお、本作は映像化もされています。
現役走り屋の大鶴義丹さんが監督しているだけあって、実写版にしてはなかなかです。
軽く触れてみたい人には、漫画よりもこちらがおすすめかもしれないですね。