お題の通り、西野カナさんのトリセツと、さだまさしさんの関白宣言の比較論です。
トリセツを最初に聴いたときは、これも時代の流れなのだと思いましたけど。
でも深堀していくと、時代を超えた普遍的な真理もみえてくるような気がします。
今回はその辺りのことを、個人的な思い込みを基につらつらと書いてみたいと思います。
キュートなメロディで奏でられる強烈な逆関白宣言
西野カナさんのトリセツ、キュートでポップな曲ですね。
女の子の取り扱い方を、取扱説明書風に表現しているところが面白いです。
ちょっとコメディタッチなところもあり、よくできた曲だと思います。
ただ、よくよくその歌詞を聴くと、これがなかなか強烈です。
そして、すぐにフラッシュバックした曲がありました。
もちろん、それはさだまさしさんの関白宣言です。
関白宣言が発売されたのは、私が小学生のときでした。
子ども心にも強烈だなぁと思うぐらいの、インパクトのある曲でした。
その関白宣言から36年たっての、逆関白宣言ともとれるトリセツの歌詞。
この国の女性の地位は、36年でここまで向上したのだと感涙しました。
でも、双方の歌詞をよくよく紐解くと、その構成や内容は大分違います。
そして、時代の変化とは無関係な、普遍的な部分も見えてきます。
それでは、その辺りを詳しく見ていきたいと思います。
掴みとオチが、まったく違います。
飯はうまく作れとか、たまにはディナーに連れて行けとか。
双方、言いたい放題ですが、じつは構成がだいぶ違います。
まず、関白宣言はいきなり上から目線です。
お前を嫁にもらう前に 言っておきたいことがある
かなりきびしい話もするが 俺の本音を聴いておけ
最初から命令系ですね。
そもそも、嫁にもらうという表現が、相手を見下しています。
それにたいして、トリセツはかなり下手にでています。
この度はこんな私を選んでくれてどうもありがとう
ありがとうとへりくだるあたりが、関白宣言と対照的ですね。
まるで、関白宣言への返歌のようでもあります。
でも、この関係は一番の歌詞の終わりを待たずして逆転します。
関白宣言の方は、飯の作り方や毎日の起床や就寝時間、あげくは化粧のやり方についてまでグズグズいってはみるのですが、結局のところ
出来る範囲で構わないから
と、あっさり妥協しています。
それに対してトリセツは、理由も分からずに急に不機嫌になって、しかも放っておくと怒りますと、こちらもなかなかの主張の挙句、
でもそんなときでも懲りずに とことん付き合ってあげましょう
と、まったく妥協の気配すらありません。
こうなると、関白宣言の最初の強がりが、かわいくすら思えてきます。
また浮気についての対処方法も対照的です。
関白宣言のほうは、浮気はしない、たぶんしないと歯切れの悪い展開のあと、
ちょっとは覚悟しておけ
と、どこか逃げ腰なのに対して、トリセツの方は、
ふたりが初めて出逢った あの日を思い出してね
と、あくまで自己解決を迫ってきます。
そして、この両曲の決定的な違いは、最後のオチの部分です。
関白宣言が、
忘れてくれるな俺の愛する女は 愛する女は生涯お前ひとり
と、最初の勢いはどこへやら、なかば敗北宣言のような展開なのに対してトリセツは、
広い心と深い愛で 全部受け止めて
と、関白宣言とは真逆の、完全制圧宣言で圧勝です。
そして、「こんな私だけど、笑って頷き、笑って許せ」との由。
ここまでくると、もはや最初のへりくだった姿勢はどこへやらという感じですね。
しかし、広い心と深い愛で全部受け止めろとは、、、
初めてこの大サビを聴いたときは、戦慄しました。
確かにそうかもしれませんけど、でもここまで言い切るのは、やっぱり時代ですね。
相手に求めているモノも違います。
ということで、関白宣言とトリセツ、お互いの主張が対になっているのが興味深いですね。
結局のところ、生物的に弱者の女性は男性に守られてしかるべき。
男性は女性を愛するモノであり、女性は男性から愛される立場である。
そんな古今東西の原則は、36年経っても同じということなのでしょうね。
そして、女性の立場からも、このようなことをあけっぴろげに言えるようになったところが、時代の変化のようにも思います。
また、トリセツと関白宣言とでは、相手に求めているモノも違います。
たとえば、関白宣言は、
- 俺より先に寝るな
- 俺より後に起きるな
- めしは上手く作れ
- いつもきれいでいろ
- (義理の)親を大切にしろ
- 姑小姑うまくこなせ
- 人の陰口言うな聞くな
- シットはするな
- 自分より先に死ぬな
これらの要求はすべて、体裁の話だったりします。
要は、仕事などで悩む自身の内面に踏み込んでもらう必要はない。
とりあえず、外面だけはよくしておいてくれって感じですね。
さて、それに対してトリセツは、
- 不機嫌でもとことん付き合ってほしい
- 爪がきれいとか、定期的に褒めてほしい
- 太ったとか、余計なことは気づかないでほしい
- 何でもない日でもプレゼントしてほしい
- 短くても下手でもいいから手紙がほしい
- 涙で濡れたら優しく拭き取ってギュッと強く抱きしめてほしい
- たまには旅行に連れて行ってほしい
- 記念日にはオシャレなディナーに連れて行ってほしい
- 柄じゃないと言わずカッコよくエスコートしてほしい
そう、こちらは関白宣言とは違い、すべてが自分マターな要求です。
とにかく、体裁などはどうでもいいから、私を満足させてくれってことですね。
そして、体裁ばかりを気にする男に女は呆れ、要求ばかりの女に男はキレる。
この辺りも36年前と変わらずの、ひとつの普遍的な真理じゃないかと思ったりするのです。
トリセツと関白宣言が示唆する、とてもたいせつなこと
ということで、、両曲を聴き比べるほど、男女がうまくやっていくためのTipsがいろいろとちりばめられていて興味が尽きません。
ちなみに、男性にとって体裁は、とてもたいせつなモノです。
グループに所属しマウントを取り合う彼らは、体裁なしでは生きていけません。
逆に、これさえ充実していれば、精神的にも安定し穏やかになります。
なので、この男性の特性さえ理解できれば、女性は安泰だと思います。
タイミングよく相方を立てておけば、一方的に捨てられることはないでしょう。
さて、問題なのは男性の方です。
男性が特に留意すべきは、関白宣言のこの部分ですね。
子供が育って年をとったら 俺より先に死んではいけない
例えわずか一日でもいい 俺より早く逝ってはいけない
何もいらない俺の手を握り 涙のしずく ふたつ以上こぼせ
お前のお蔭で いい人生だったと 俺が言うから 必ず言うから
この関白宣言のオチ、パッと見はなかなかの美談です。
この部分で涙してしまう人もいるようです。
でも、よく考えてください。
これって、ただの自己満足にすぎないと思いませんか?
たぶん、今際の際にこんなことをされて、喜ぶ女性はいないと思います。
単純に、こんなことを妄想している本人の、安っぽいマスターベーションですよね。
それよりも、女性が常時、男性に求めているのはこの姿勢です。
広い心と深い愛で 全部受け止めて
このギャップですね。
これが、熟年離婚のすべてだと思います。
関白宣言のオチに感動している男性は、トリセツを聴いて心あらためた方が良いと思います。
もちろん、広い心と深い愛で全部受け止めるというのも、なかなか荷の重そうな話ですが。
でも、それについても、さださんが関白宣言で示唆しています。
たやすいはずだ 愛すればいい
以上ですね。
かんばりましょう。