幸福度No.1について想うこと
ブータンの映画を観てきました。
世界で一番幸せな国といわれていますが、いろいろと考えさせられましたね。
たしかに、幸せは人それぞれですけれど。
それゆえに、幸福度といった指数で語るのはどうなのだろうと、あらためてそう思いました。
ブータンの映画を観てきました。
ブータン 山の教室という映画を観てきました。
ブータンの映画は初めてでしたが、日本で上映されること自体、とても珍しいようですね。
素朴で貧しい当地の雰囲気が、ひしひしと伝わってくる映画でした。
映画は、首都ティンプーに住むある若い教師がへき地の小学校に赴任するお話です。
海外移住を夢見るその主人公は、母国での教師の仕事にやり甲斐が見いだせずにいます。
そして、そんな主人公に業を煮やした当局が、へき地への赴任を命じるのですね。
赴任先のルナナ村は、最寄りの街から徒歩で6日もかかる、正真正銘のへき地です。
道中には宿らしい宿もなく、野営しながらの移動ですから超ハードです。
そして、半分命がけでたどり着いたその村は、蔵王の山頂のようなところでした。
人口は56名、電気や水道、ガスなどはなく、人々はヤクを飼いながら暮らしています。
ヤクの糞が貴重な資源だったりする、まさに寒村の中の寒村ですね。
そんなところに赴任させられた主人公は、最初こそやる気ゼロだったのですが。
しかし、素朴な子どもたちや、彼を慕ってくれる村人に触れて少しずつ変わってきます。
友人に頼んで文具や教材を送ってもらったり、得意のギターで子どもたちと歌を歌ったり。
学習用の紙すら満足に準備できない中、自室の防寒用の紙を提供したりもします。
そして、村長から信頼を得た彼は、やり甲斐をもって教師の仕事にあたるのですね。
また、彼は村一番の歌い手といわれる娘さんから、歌を教えてもらったりします。
気づけば、ティンプーで腐っていたときとは別人のようになっているのでした。
赴任から数ヶ月が経ち、主人公の任期は満了となります。
そして、きびしい冬が来る前に、彼は山を下りるのですね。
村長は、また来春も赴任してほしいと懇願しますが、それは難しいと主人公は答えます。
それから数か月後、主人公は念願のオーストラリアで歌手としての生活を始めます。
ただ、歌手といっても、場末のクラブでの歌い子ですけどね。
そこでの立場は、ルナナ村のときとは、まるで正反対です。
彼は、ルナナ村での日々を思い出し、かの地の歌を口ずさむところで映画は終わります。
ブータンについて、調べてみました。
ちなみに、ブータンについてはわかっているようでわかっていない状態でした。
ぶっちゃけ、とてもハンサムな国王と美人の王妃がいるというイメージしかありません。
あとは、幸福度が世界一高いということぐらいですかね。
ということで、映画を観たあと、あらためていろいろ確認してみました。
ブータンは南アジアに属する国、場所的にはインドの東北部です。
イメージ的にはバングラデッシュ北部ですが、ブータンとの境はインド領なのですね。
東西と南をインドと接し、北は中国(モンゴル)と接しています。
インドから派生したように思えますが、実はモンゴルからの流れをくんだ国のようです。
たしかに、ブータン人はもろモンゴル人、風習なども日本人に近いモノがあるようですね。
しかし、チベットと接する北部は、急峻なヒマラヤ山脈です。
いったい、あんな秘境のどこに行き来ができるルートがあるのか、興味が尽きません。
また、インドと接する東西と南は、山地がはじまるところが国境のようです。
いずれにしても、ブータンというのは相当の山岳国家ということですね。
首都ティンプー以外に、平地らしい平地はほとんどありません。
これだけでも、地勢的にかなり過酷であることが推察されます。
なお、ブータンの人口は70万人、ちょうど島根県ぐらいですね。
首都ティンプーは10万人ですから、東北の地方都市ぐらいでしょう。
それでも、映画で見る限りは、クラブなどもあるそこそこの街だったりします。
それに対して、映画の舞台のルナナ村は、もはや前時代的ともいえるへき地ですね。
グーグルマップで確認すると、ガサ県のかなり北辺に位置する村のようです。
映画では、世界一のへき地といわれていましたが、さもありなんという感じですね。
そんなブータンの軍隊は、かつてはイギリス軍を敗退させたこともあるようです。
地の利という部分もあったとは思いますが、なかなか凄いことだと思いますね。
その後、ブータンはイギリスから補助金を得る代わりに、外交権を渡します。
それで、北辺の中国に睨みを利かせるのですから、かなりしたたかな一面もあるのですね。
また、1999年までテレビ放送が禁止されていたというのにも驚きです。
意外とこの国には、専制的な部分もあるのかもしれません。
さて、そんなブータンを言えば、やはり幸福度No.1です。
たとえ貧しくても、幸せ度合いは低くはないというから、こちらもかなり強烈ですね。
でも、それってぶっちゃけ何なのかなぁという想いも長らくあったのですが。
この映画を観て、その答えに少し近づけたような気がしました。
幸福な国の実態
あらためて映画の話に戻ると、主人公が派遣されたルナナ村は、本当に貧しいです。
それは、子どもたちが教育に飢えきっているところに痛感させられますね。
たとえば日本なら、あれは100年以上前の光景でしょう
いまどき、あれだけ教育に飢えた地域は、世界広しとはいえあまりないように思われます。
そしてそれは、子どもたちが村での将来に希望を見いだせていないことの裏返しですね。
ある男の子は、勉強をして学校の先生になりたいと言っていました。
理由は、先生は将来にふれることができるからです。
なんとも、切ないセリフだと思いますね。
主人公の世話をしてくれる若者や、あるいは村一番の歌い手は、素朴で一見幸せそうです。
でも、どこか諦念の体があるようにも感じられました。
そして、そんな現実を直視する村長は、教育の大切さを訴えるのです。
そもそも、バスが通る最寄りの村まで徒歩で6日というようなところです。
このへき地の村については、教育以前に医療体制がどうなっているのかが気になりますね。
ちなみに、村長の奥さんは、産後の肥立ちが悪くて亡くなったそうですけど。
そんな悲劇を受け入れざるを得ない環境というのは、やはり悲しすぎると思います。
そして、それは首都ティンプーで暮らす主人公も同じですね。
いまよりもっと豊かできらびやかな世界に生きたいと願うのは、万国共通の人情でしょう。
もちろん、主人公の彼には、その可能性があるだけ救われるのですが。
可能性がほとんどないルナナ村の住人が、本当に幸福なのかははなはだ疑問ですね。
この国は、世界で一番幸せといわれている。
でも、あなたのように将来にふれることができる人は、幸せを求めて海外に行ってしまう。
村長のこのセリフに、すべてが凝縮されているように感じました。
人間の幸せには、やはり最小限の経済的な豊かさが必要だと思います。
それを、幸福度世界一というスローガンで糊塗するのは、ある意味詭弁かもしれません。
本作には、ブータンの大自然や子どもたちの純真さに感動したというレビューも多いです。
でも、私は素朴な村の描写の中に、一抹のせつなさと憤りを感じましたね。
もちろん、あの村での生活も、決して悪くはありませんが。
ただ、村の子どもたちには、教育に飢えないレベルに豊かになってほしいです。
なぜなら、幸せの追求は誰にでも平等にある権利ですからね。
そして、その先に知足という境地があるのだと、個人的にはそう思います。