サラリーマン時代のお話-その5
今の仕事をはじめる前は、30年近くサラリーマンをしていました。
いまとなっては懐かしい会社員時代です。
そのときの思い出話、第五弾は青天の霹靂だった事業譲渡のお話です。
サラリーマン時代のお話-その4はこちら。
運命のときは、突然やってきました。
いつものように、のほほんと仕事をしていた初秋のある日、一通のメールが届きました。
なんでも、事業についての非常に大切な話があるから会議室に集まれとの内容です。
事業部のメンバー全員が、仕事を止めて会社の大会議室に集合しました。
会議室のひな壇には、人事部のメンバーが座っていました。
そこで、私の所属する事業部が、事業部ごと他社に譲渡されることを告げられます。
要は、今いる会社から切り離されるということですね。
これには、さすがの私も驚きました。
そして、ちょっとヤバいなと思いましたね。
これまで安泰だと思っていた人生が、音を立てて崩れていく感じがしました。
ふり返ってみれば、確かに予兆はありました。
この期に及んで、それに気づけなかった自分の甘さを責めてみても後の祭りです。
会社側はとても用意周到で、譲渡が判明したときには完全に詰まれていた状態でした。
結局は、親会社に翻弄されたということです。
ちなみに、私のいた事業部は万年赤字でした。
稼ぎ頭の生産部門からは、お荷物扱いされるような事業部でした。
もちろん、事業部としても、それで良しとしていたワケではありません。
私が入社して数年でOEM事業が軌道に乗り始め、まもなく黒字化達成とも言われていました。
もちろん、私もメカ設計者として連日遅くまで働いてしました。
他部門からお荷物扱いされる筋合いなど、どこにもないという感じでした。
そのような中、ものづくりの海外移転トレンドで、会社は独立独歩路線を歩み始めます。
東証二部上場を目指し、私が所属する事業部は営業強化に乗り出しました。
そして、たくさんの営業員を中途採用し、所帯は一気に倍の100人規模になったのでした。
(そのあおりを受けて、私も営業に異動になりました。)
しかし、売上というのは営業を増やせば伸びるというモノでもありません。
有益な市場や顧客を持たずにこんなことをしても、単に固定費が高くなるだけです。
事業部の黒字化は、なかなか先が見えない状態が続いていました。
もちろん、事業部としても手をこまねいていたワケではありません。
米国の自動車業界向けに斬新な製品で攻勢をかけるといったプランが実行されたりしました。
しかし、結論からいうと、どれも失敗でしたね。
そもそも、一発勝負のようなテーマで事業の黒字化を図っても無理があるという話です。
商売というのは、長年のつき合いがあるお客様がどれだけいるかで成り立つものなのですね。
そこが欠落していたのが、私のいた事業部の致命的なところでした。
そんな折、2000年代に入って親会社のガバナンス施策が変わります。
法律の改正などで、世の中はM&Aがやりやすい環境に移行しつつありました。
そして、会社は独立独歩路線から一転、親会社からの囲い込み路線に変更になります。
せっかく上場した東証二部は、2年ぐらいで上場取りやめになりました。
そして、事業の選択と集中がはじまります。
私の事業部がやり玉にあがるのも、時間の問題でした。
親会社とは何のシナジーもなく、万年赤字の小規模事業部。
上の立場からすれば、どこか引き取ってくれるところを探そうということになりますね。
そして、私はまた、運命の大波に飲まれていくのでした。
いつのまにか、会社に染まっていた自分に驚きました。
事業譲渡が決まる半年前から、すこしずつ人員の整理は行われていました。
たとえば、他部門から異動してきた人は元の部門に戻るなどなど。
たぶん、会社の上層部としては、この事業譲渡は既知のことだったのでしょう。
しかし、末端の私に、そのようなことを知る由はありません。
私にも他部門に移るチャンスはなくはなかったので、ここはすこし後悔しましたね。
ただ、結局はこの事業部に居続けることを選んできたわけで。
そして、その裏を返せば、それだけこの事業部の居心地がよかったということで。
それを考えれば、この譲渡でプラスマイナスゼロの話なのかもしれないです。
この事業譲渡が決まったとき、私は40歳でした。
中堅のサラリマンとして、それなりに満足した人生を送っていました。
収入的には安泰でしたし、会社のネームバリューはプライドを満足させてくれました。
このまま何も考えず定年まで勤めあげようと、そうのん気に考えていました。
しかし、そんな私の人生基盤は、ある日突然雲散霧消してしまったのですね。
そして、会社の看板を外されることに困惑する自分に、自分自身で驚きました。
サラリーマンになって18年、私もすっかり会社の忠犬になってしまっていたようです。
入社当時はアルバイトのつもりだったのに、やはり長い年月は人を変えてしまうのですね。
いつの間にか会社依存の人間になってしまっていたことに、自分自身で愕然とするのでした。
そして、いくら四の五の言ったところで、結局会社員とは将棋の駒ですね。
指し手の会社に従わなくては、生きてはいけない悲しい立場です。
挙句、指し手の意向によっては、かんたんに捨て駒にされてしまうのですね。
ということで、希望2割に不安8割で、私は譲渡先の会社に転籍することになるのでした。
次回に続く。