福島の浜通りをドライブしてきました。(後編)

家族で、福島の浜通りをドライブしてきました。
この方面に出かけるのは、四半世紀ぶりぐらいです。
原発事故があってからは、近づくこともできませんでした。
それでは、その浜通りドライブの後編です。

福島の浜通りをドライブしてきました。の前編はこちら

双葉町は、見る影もありませんでした。

夜ノ森の桜並木からR6に戻って、福島第一原発を遠望します。
道路傍の線量計は、0.6μsV/hでした。

そして、目的地の双葉町に到着しました。
まずは、町内に入ってみます。
駅と役場は、復興されたばかりで立派でした。

しかし、それ以外は完全にゴーストタウンですね。
本当に、リアルマッドマックスです。

双葉町内を巡ったあとは、海岸側にある原子力災害伝承館に向かいます。

原子力災害伝承館は、とても立派な建物でした。
そして、あの日までのこととあの日のこと、そしてあの日以降のことが詳しく展示されています。
老朽化で取り外された、こちらの標語も展示されていました。

「原子力、明るい未来のエネルギー」
私が学生時分にソロツーリングで訪れたときも、この標語がありました。
あまりにも強烈な標語で、今でもよく覚えています。
家族三人で伝承館を見学して、もうため息しかありませんでした。

浪江町は、ほんの一部が復興していました。

伝承館を後にして、今度は双葉町の北隣の浪江町に向かいます。
ここのR6とR114の交差点付近が、プチ復興の現場になっています。
なんとも、立派な道の駅ができていました。

レストランの窓からは、復興の象徴としてテレビなどに取り上げられるイオンが見えます。

お腹が空いたので、ここで遅めのランチです。
息子は、なみえ焼そばの大盛りを頼みました。
私と配偶者は、なみえ焼そば&しらす丼のセットをシェアします。
この、なみえ焼そばとしらす丼セットは大当たりでした。


売店では、おいしそうな日本酒が売られていて思わずゲットです。

磐城寿、原発被災で山形に疎開した蔵があるとは聞いていましたが、これだったのですね。
そして近年、この道の駅で浪江での酒造りを再興させたようです。
磐城寿あかがね、どっしりとしながらもどこか優しさを感じさせる良酒でした。

道の駅をあとにして、福島市の息子のアパートに向けてクルマを走らせます。
浪江町も、復興してるっぽいのはこの道の駅のある交差点付近だけです。
あとの9割5分は、やはりゴーストタウンでした。

川俣町との峠まで、ゴーストエリアでした。

そして、このゴーストタウンは浪江の街を抜けても延々と続きます。
浪江から福島市に抜けるR114は、川俣町との峠まですべて帰宅困難区域なのですね。

国道筋にある集落はすべて廃墟、横道はすべて立ち入り禁止です。
これには、本当に戦慄してしまいました。

この一帯は、あの日の南東の風で汚染されました。
そして、あまりの山深さに除染作業などは行われず見捨てられたのだと思います。

今回の旅行で、一番線量が高いところは0.6μsV/hでした。
年間換算で5msV、原発関係者に定められた許容量の1/10とはいえ、通常量の2〜5倍です。
ぶっちゃけ、私は住めません。
もちろん、子育てなどは絶対に無理ですね。

このエリアは、中途半端に復興させてはいけないと思います。
このまま保存して、負の世界遺産にするべきでしょう。
それでも、今回の事故では格納容器が破裂しなかったので、このぐらいで済みました。
最悪、東日本全域がこうなってしまう可能性のあった事故でした。

昨今の電力事情を含め、原発を取り巻く環境はとても複雑です。
しかしそれゆえに、この問題はシンプルに考えるべきだと思いますね。
住民を欺かないと動かせないような危険なモノを、野放しにしてはいけません。
まずはそこに立脚しないと、話は始まらないと思います。

昨今の電力ひっ迫は、ウクライナが原因です。
であれば、取るべき道は、ウクライナと共闘でひっ迫を甘受するか、あるいはプーチンに迎合してLPGを輸入するかのいずれかでしょう。個人的にはどちらでもいいと思うのですが、ここでウクライナと共闘はするけれど原発も再稼働は、筋が通らない話だと思います。

そもそも、この国の電力消費の70%は産業用です。
そして、その約半分は製造業で消費されているのですね。
これが原発再稼働の源泉になっていると、個人的にはそう思ってます。

製造業なくしてこの国なしは、官民に浸透している”幻想”です。
そして、それは先の戦争のときと同じ”亡国の構図”です

福島県富岡町、双葉町、そして浪江町。
ここは誰でも一度は訪れて、その雰囲気を肌で感じるべきでしょう。
それで、それでも原発再稼働というのなら、それは自分さえよければの「人でなし」です。
なにはともあれ原発は、まったくシャレにならないの一言だと、再認識させられた旅行でした。