13回目の車検徒然

900SSの車検が終わりました。
そのときのよもやま話で、昔お世話になったBike屋さんの近況を知りました。
ちょっと厳しい近況で、切なくなりました。
たかがBike、されどBike。
長い間乗っていると、やはりいろいろありますね。

28年目、13回目の車検です。

GW前に出した900SSの車検が、ようやく上がりました。
今回はクラッチからのオイル滲みにリアスプロケ交換と、なかなかのボリュームでした。
このBikeも、次の車検で30年です。
大切にはしてきたつもりですが、やはり寄る年波ですね。

お願いしたのは、いつものFクトリーさんです。
とても実直な、実に山形らしい堅実経営のドカティショップです。
今回も、本当ならドライブスプロケにチェーンと全換装したいところではあったのですが、クラッチ修理と合わせると費用が膨大になるので、まずはリアスプロケのみで様子見ましょうと、そんな提案をしてくれるショップです。

職人肌の社長さんは基本寡黙な方ですが、妙に気が合っていつも長話になります。
今回も車検費用を清算しながら、あれやこれやとよもやま話になりました。

話は、今回修理したクラッチからリアスプロケに移ります。
そして、いつもの通りにチェーン調整ネジの話になります。
私の900SSの調整ネジ、長らくスイングアームに固着しちゃってて機能していません。

まぁ、調整できなくても、そこはなんとでもなるのですが。
でもちょっと、長らく喉の奥に刺さったままの骨だったりする箇所です。

「これ、早い段階から固着してたんだろうね。」
「こうなる前に、バラシてグリス塗っておけば良いんだけどね。」

これが、いつもの社長さんのセリフです。
そしてそこから、この900SSを買った仙台のBikeショップの話になるのです。

この900SSは、仙台のCロッツエリアというBikeショップで購入しました。
1992年の夏の終わり、私はまだ25歳になったばかりでした。

そのCロッツエリアで、当時マネージャーしてたKさん。
この方は、私が20代の頃にとてもお世話になった人です。
Fクトリーの社長さんも旧知で、いつもKさんの話題で盛り上がります。
ところが、今回はFクトリーの社長さんから意外なひと言が飛び出しました。

「Kさんのお店さぁ、潰れちゃったんだよ。」

Kさんとの想い出。

1992年の夏の終わり。
その年の夏休み最終日に、私はやっと限定解除を果たしました。
挑戦を始めてから、丸一年目のことです。
そして、念願のドカティを手に入れるべく奮闘してました。

あの頃はまだドカティジャパンはなく、村山モータースが総輸入代理店でした。
東北でドカを手に入れるとなると、Cロッツエリアかレッドバロンという時代です。
事情通にあれこれ聞くと、そりゃCロッツエリアでしょうということでした。

Cロッツエリアは、卸町にある逆輸入車&マニアック外車専門のお店でした。
当時は四輪部門もあって、ポルシェルーフなどを扱っていました。
仙台バイパス沿いにあったお店は、ちょっと敷居が高いイメージでした。
でも、ここはもうドカ欲しさの勢いで、意を決して飛び込んでみたのでした。

生まれて初めてみる実車の900SS。
しげしげと車両を眺めていたら、声をかけてきたのがKさんなのでした。

Kさんは、とても紳士的な人でした。
お上りさんのような私にも、懇切丁寧に製品説明をしてくれました。
そして話はとんとん拍子で進み、2週間後には念願の900SSが無事納車となったのでした。
受け取りに行ったあの日の事は、いまでも鮮明に思い出すことができます。

その後もパーツを買ったりツーリングに誘われたり、Kさんには仲良くしてもらいました。
SUGOの走行会のあとの焼肉パーティで楽しく飲んだり、車検の時に最寄り駅まで愛車のホンダビートで送ってもらったり、本当に楽しかった思い出ばかりです。

説得力があるトークが売りのKさんは、正にデキル営業マンそのものでした。
そんなキャラを敬遠する人もいましたが、私はKさんのことが好きでした。
なぜなら、Kさんはとても人情家で、そしてBikeが大好きな人でしたから。

Cロッツエリアはその後、二輪部門が独立してバイパス向かいに引っ越しました。
移った先はクシタニショップのお隣で、クシタニファンの私としても最高の立地でした。
お店はKさんの辣腕ぶりもあって、どんどん大きくなっていきます。
ダイナジェットのシャシダイまで導入して、パワーチェックのサービスまで提供してました。
最終的にCロッツエリアは、東インター近くに大きな店舗を構えるまでになります。

結婚して山形に引っ越しても、900SSの車検はずっとCロッツエリアにお願いしていました。
山形在住の私の900SSは、いまでも購入時の宮城ナンバーのままです。
その入れ知恵をしてくれたのもKさんでした。
息子を連れていったこともありますから、15年近くのお付き合いでした。

Kさんは、その後、Cロッツエリアを辞めて独立されました。
Kさんが抜けたCロッツエリアは、ガス欠したBikeのように失速しました。
そして、数年で閉店になってしまいました。
いかに、CロッツエリアがKさんで回っていたかということですね。

そのタイミングで、私は山形のFクトリーさんにお世話になるようになりました。
2007~2009年ぐらいにかけてのことです。

その後、独立したKさんは、仙台近郊で小さなBikeショップを始められました。
その店内には、KTMなどが所狭しと並んでいました。
それはいかにも、モトクロスをされていたKさんらしいお店でした。
開店して一年目ぐらいに顔出ししたら、とても喜んでくれました。
そして、定期的にフェアーの案内が、山形の自宅に届くようになりました。

結局、Kさんとはそれっきりにはなってしまったのですが。
案内のハガキが届くたびに、元気でやってるんだなぁって思っていました。

人生、いろいろです。

Fクトリーの社長さんの話によると、潮目が変わったのは数年前だそうです。
ドカティジャパンの販売戦略が発端とのことでした。

要は、拡大路線ということですね。
具体的には、BMWやメルセデスなどの四輪外車ディーラーと同じです。
広くてお洒落な店内に新車両をずらーっと並べて、試乗車もずらーっと並べて。
そして、数年おきの買い替え需要を狙うという戦略です。

さて、ドカティというニッチな製品でこの戦略はどうなのでしょう。
確かに四輪なら、数年おきの買い替え需要も狙えると思います。
しかし、ドカティは趣味の二輪です。
気に入れば、私のように数十年乗り続ける人も珍しくはありません。

「そんな商売、ハーレーでも難しいと思うよ。」
「首都圏ならともかく、東北では成り立たないよ。」

という判断で、Fクトリーさんは降りたそうです。
そして、正規ディーラーもやめてしまったとのことでした。

「ジャパンの縛りがない今は、自由に自分の商売ができて快適だよ」

と笑う、Fクトリーの社長さん。
確かに、その判断は実に正しいと私も激しくそう思います。

ところが、Kさんは、そのドカティジャパンの戦略に乗っかったとのことでした。
そして、多額の借金をして大きな店舗を構えたようです。

昔から、Kさんはイケイケのキャラです。
Fクトリーの社長さんもかなり忠告されたらしいですが、聞く耳持たずだったようです。

Kさんの営業力は、オリンピックとまでは言わないまでも国体選手ぐらいは優にありました。
そのような人に限って、売上を作る自信がある分、突っ走る傾向はありますね。
また、野心やプライドもあったとは思います。
仙台で一番ドカティとV-MAXを売った男と言われたぐらいのKさんでしたから。

でも、個人的には決してそれだけではなかったと思います。
Kさんは人情家の人でした。
新しい挑戦をするドカティジャパンのために、一肌脱ぎたいという想いがあったのでしょう。
それに、Kさんは本当にBikeが好きな人でした。
そんなKさんのBike愛が、借金してまでのデカい店舗に結集したのだろうと思います。
いや、そうだったと信じたいです。
そしてそう考えると、Kさんの失敗も決して批判はできないと思うのです。

またいつか、必ず復活されることを祈って

結局、Kさんに残ったのは多額の借金と壊れた体だけとのことです。
あまりに切ない結末に、Fクトリーの社長さんと思わずため息ひとつでした。

「だから、商売もBike遊びも身の丈に合わせないとねー。」

とは、Fクトリーの社長さんの〆の言葉です。
うん、確かに、確かにそーだとは思います。

でも、長年Kさんとお付き合いしてきた者として、あえてデンジャーゾーンに突っ込んでいった彼の気持ちも、痛いほどわかったりもするのです。

900SSに乗り始めて28年、今年で13回目の車検でした。
さすがに、ここまで長く乗ってると、万物流転、諸行無常を感じ入るばかりです。

CロッツエリアにKさんのお店。
かつて仙台のバイパス沿いにあったこれらの店舗はもう、その跡形もありません。
気づけば遠くになりゆく、わが青春という感じですね。

それでも引き続き、私はこの900SS乗り続けていきます。
25歳の夏の終わりにKさんから売ってもらった、イタリア製の赤いヤツ…。
そしてまたいつか、Kさんと楽しくBike話ができることを祈って。
あんなにBikeが大好きなKさんだったら、必ず復活することを信じています。