スピードに魅せられて。
物心ついたころから疾走する乗り物に魅せられて、今に至ります。
かつては、スピードの魅力を存分に味わえる時代がありました。
そんな当時の思い出やこれからのことなどを、思うがままに書いてみたいと思います。
あおり運転防止法で、時代が変わりました。
2020年6月10日に、あおり運転防止法が施行されました。
走行妨害はもちろん、車間をつめたりパッシングも処罰の対象になるときがあります。
適用されれば、一発免取の厳罰です。
もちろん、制定のきっかけは、あの常磐道における運転妨害事件ですね。
高速道路上で他車を停止させ、運転手に殴りかかる映像は衝撃的でした。
もはや、道交法を越えて殺人未遂のレベルですから、厳罰は必須だと思います。
そして、この事件の犯人検挙については、ドライブレコーダーの普及が一役買いました。
このおかげで、犯人の宮崎何某もかんたんにつるし上げられましたね。
このドラレコ装着については我が家も例外ではなく、あらためて世の中は便利になるばかりです。
ただ、スピード好きな者からすると、逆にちょっと走りづらい環境です。
なぜなら、いまの公道は万人のドラレコによる監視下に置かれているということですから。
正直、走り方次第では、いつつるし上げを喰らうかわかったものではありません。
もはや、好きなペースで自由に公道を走り回れる時代ではないのですね。
昔の公道は、野生の大地でした。
そんな公道も、かつては弱肉強食な野生の大地でした。
高速道路でのバトルなど、日常茶飯事だったと思います。
追い越し車線でモタモタしようモノなら、車間をつめられてのパッシングの嵐。
逆に、飛ばしてるクルマの後ろをピッタリついていくなんてことも、よくやってました。
もちろん、だからといって宮崎何某のような蛮行に及ぶワケではありません。
好きな者同士の一期一会で、そこにはリスペクトを感じる瞬間さえありました。
そして、愛機の性能をフルに発揮しての走行は、とてもエキサイティングです。
あの暴力的でヒリヒリとした緊張感は、まさにスピードの魔力というヤツですね。
かつては、そのあたりのことをストレートに表現した漫画や映画もありました。
たとえば、キリン、あるいはあいつとララバイなどなど。
そして、その真打は、1979年公開のMADMAXでしょうね。
この映画のラストシーンは、スピード好きな私の心を鷲掴みにしました。
マックスに追い詰められるトーカッター、その走りをローアングルで捉えたカットが最高です。
あのヒリヒリとした疾走感を、これだけよく再現した映像は他にはないと思います。
また、このグースの走行シーンも、まさに熱い走りというヤツですね。
もちろん、リアルでこんなことをしては、ただの犯罪行為なのですけど。
しかし、好き者としては、そこに野生のロマンを感じ取ってしまうのですね。
駿馬を駆る悦び
かつて、大藪春彦氏は、クルマは身体機能の拡張だと述べていました。
また、敬愛する五木寛之先生は、運転免許証は能力の証明書と仰っています。
そして、クルマやオートバイを運転することは駿馬を駆ることと同じで、そのパワーは強さの象徴であり、また飼いならすスキルはステータスです。これが高級車やスポーツカーが尊ばれることの源泉であり、それを原始的に誇示していたのが、かつての暴走族なのかもしれません。
五木先生は、クルマを降りた際に、性的機能の放棄を感じたと述べていました。
ご年配はなかなか免許を返納したがらず、私もかつてクルマに乗れなかった時期は、手足がもがれたような感じがしたモノです。
これも、前述の好き者心理からすれば当然のことですね。
ところが、自動運転の登場で、このような価値観は大きく変わろうとしています。
あと10年を待たずして、これまでのクルマ社会は根底からひっくり返ると思いますね。
飼いならされるクルマ社会
自動運転により、クルマは身体能力の拡張ではなくなります。
また、その性能をフルに引き出すスキルも、ステータスではなくなります。
それはそうですよね。
なぜなら、自動運転の運転者は、人ではなくて機械なのですから。
この変化により、まずは高級車やスポーツカーの類が消滅するでしょう。
ポルシェが利益率70%の春を謳歌できるのも、あと十年続けばいいところですね。
そして、クルマやオートバイは白物家電化と化し、公道を愛機で疾走することもなくなります。
まさに、飼いならされたクルマ社会の到来ですね。
もちろん、これはこれでモビリティの正常進化であり、歓迎すべきことではあります。
しかし、個人的には一抹の寂寥感を禁じ得ないですね。
自動運転など、もっと遠い未来の話と思っていました。
往年の好き者たちが、この変化をどう感じているのかが気になるところです。
ちなみに、我が家の息子は、このことについてまったく意に介していませんね。
世の中は豊かになり、クルマやオートバイで疾走することに快楽する人は少なくなりました。
いまどき、ドリフト走行などを楽しむのは、ブラジル人ぐらいのようです。
でも、自らの手でマシンを駆り、時空の間を疾走するのは野生の醍醐味です。
そこには、いままさに自分は生きているのだという実感がありますね。
それはまた、飼いならされた世界では絶対に味わうことができないエクスタシーです。
剝き出しのリアルは、いつも最高にエキサイティング。
そんなスピードの魅力を愛でる者として、これからもひっそりと走り続けたいと思います。