好きなこと
この歳になって、やっとわかった。
この歳まで生きてくると、わかってなかったなぁって思うことがいろいろ出てきます。
例えば、自分の好きなこと。
こんなこと、子供のころからわかっていそうで、でもわかってなかったですね。
今日は、そんなことをつらつらと書いてみたいと思います。
理系少年でした。
少年の頃から理系でした、、、というか、そう思い込んでいました。
小学校では、算数が大好きでした。
逆に、国語は苦手でした。
算数は、答えが明確なのが性に合っていました。
たとえば、1+1は2で、それ以外の答えはありません。
ところが国語は、これは文章の捉え方次第でいろいろな答えがあるので、そこがどうにもしっくりこない感じでした。
そして、勉強以外の興味の対象も機械や電気など、ま、普通に考えて理系ですね。
この傾向は中学に進んでも変わらず、いや、ますます拍車がかかった感じでしたね。
高校のときは、国語系科目(現国、古文、漢文)を、捨てました。
そして大学は工学部、まったくもってブレひとつない理系道でしたね。
苦手な理系科目
でも、よく考えると理系の科目がすべて好きで得意というわけではないのです。
たとえば生物、全く興味がありません。
動物然り、植物にいたっては名前のわかるものは片手で数えられるほどです。
地学は大学の教養課程で専攻しましたが、これまた苦痛なだけでした。
天体方面もあまり興味がなく、星座で分かるのはオリオンぐらいです。
そして化学も一応やりましたが、あまり面白くなかったですね。
よくよく考えると、好きで得意な理系科目は数学と物理だけなのです。
逆に、文系科目でも好きで得意なモノがありました。
政治経済です。
それと、これは社会人になってから気づきましたが、法律も好きです。
そして、なんといっても大好きなのは工業製品ですね。
クルマやオートバイはもちろんの事、鉄道、航空機、船舶と乗り物系は大好きです。
また、電化製品、無線やオーディオの類も目がありませんね。
当然、コンピュータも興味津々です。
建物や橋、トンネル、 発電所やプラントといった建造物系もしびれますね。
人工物が好き。
ここまできて、ようやくわかりました。
私は、理科系ではなくて人工物が好きな人間のだと。
たとえば、生物や地学、あるいは化学は人工物ではありません。
これらは生き物や岩石、あるいは世の中の物質を標本化した学問です。
それらに対して、数学は100%人工物ですね。
また、物理学も100%人工物です。
物理学とは万物の成り立ちや振る舞いを、数学を使って人工的に理論化したモノですからね。
法律も人工物です。
国民主権や三権分立などの社会の仕組みも、すべて人間が作り出したものです。
工業製品、これも100%人工物ですね。
そして人工物の最たるもの、それはコンピュータの世界です。
神様の作ったものはわからない。
それでは、どうして私は人工物が好きなのか?
これは、人工物なら理解ができて答えがみつかるからだと思います。
だって、同じ人間が作ったものですからね。
算数と同じように、1+1は必ず2ならば安心です。
それに対して神様が作ったもの、たとえば生き物や岩石、あらゆる物質、あるいは宇宙といったものは、これはなかなかわかりません。
というか、わかるモノなのかどうかもわからないといった感じです。
この、神様の作ったものの最たるものが人間でしょうね。
子供の頃、国語が苦手だったのは、人間が苦手だったことの裏返しだと思います。
わからないモノをわかろうとしても意味がないという諦念が、子供の頃から私の中にはあるのでしょう。
いろいろな経験を積んで、やっとこの歳になって気づきました。
つくづく、根性なしだなぁと思いますね。
そして、日々神様の作ったものに果敢に挑んでいる研究者の方々は本当にパイオニアなのだなぁと、そのチャレンジ精神にあらためて感服する今日この頃です。