歴代の携帯電話まとめ その1

スマートフォンを変更したタイミングで、歴代の端末をまとめてみようと思います。
そもそも、携帯を使い始めて、今年で27年目ですからね。
その間、数々の端末とともに、いろいろなことがありました。
今回は携帯電話を軸に、昔のことをふり返ってみたいと思います。

1997年の春に、はじめて携帯電話を手にしました。

私の携帯事始めは、1997年の春です。
その半年ほど前までは、PHSを使っていました。

ぶっちゃけ、電話はほとんどしない人なので、長らく携帯は不要と思っていました。
そのような中、営業に移って外回りの仕事が増えたこともあり、携帯デビューとなったのです。
やはり、公衆電話に並ばず連絡が取れるのは、何かと便利ですからね。

1996年当初は、まだ携帯電話の料金は高かったです。
そこで、最初はPHSにしたのでした。
出張先の秋葉原で5,000円で買ったアステルの端末は、コンパクトでかっこう良かったです。
携帯は不要と思いながらも若干の憧れもあったので、初めての通話にはすこし感動しましたね。

ところが、使い始めてみると、PHSはクルマや電車の移動ですぐ切れてしまいます。
そして、東京で買ったこのPHS、ローミングの関係で東北では着信ができないのでした。
ぶっちゃけ、これでは使い物にならないという感じです。

そんな折、当時の同僚からデジタルツーカーを紹介されました。
携帯端末が無料で契約できて、月々の基本料金も5,000円弱と許容範囲です。
ということでアステルは即行解約、そしてデジタルツーカーによる携帯生活が始まったのでした。
1997年の春、Windows95の自作パソコンを買って一年後ぐらいのころです。

当初は、一年ごとに機種変更していました。

最初に選んだ端末は、日本電装のND2でした。
5~6種類あった端末の中で、一番スリムな端末でしたね。
スリムといってもスーツの内ポケットになんとか収まるサイズ、カラーは真っ黒です。
まさに、親父仕様の硬派な端末でしたね。

そして一年後の1998年、この日本電装の端末が劇的にモデルチェンジします。
デンソー製ND3、アステルの端末以上に小型でスマートなデザインでした。
当時お付き合いしていたいまの配偶者が携帯電話を始めたのにあわせて、速攻機種変更です。

この端末には、まめぞう君というキャラクターが住んでいたのもなつかしいですね。
当時は、たまごっちが流行ってた頃でした。

このND3はとてもお気に入りでしたが、当時は一年ちょっとでバッテリーが寿命になります。
そこで翌年の1999年、今度はSONYのJ-SY01に変更しました。
このとき、キャリアのブランドもJ-Phoneに変わりましたね。

この端末は、ジョグダイヤルのCMが格好よかったです。
くるくる回して連絡先を選び、そのままダイヤルを押すと発信できるのが素敵でした。
実にSONYらしい、スマートな端末だったと思いますね。

そして、この頃から携帯電話でメールができるようになります。
電話をあまり使わない私は、これ以降メールを多用するようになるのでした。

ところが、このSONYの端末は日本語入力がとてもプアでした。
致命的だったのは、学習機能がなかったことですね。
肝心のジョグダイヤルも、日本語入力にはほとんど役に立ちません。
鳴り物入りだった割には、個人的には微妙な端末という感想でした。

そしてその一年後の2000年、ようやく学習機能がついた端末が発売されました。

シャープ製のJ-SH04、カラー液晶に携帯初のカメラ付と、当時の最高峰モデルです。
ぶっちゃけ、当時は携帯にカメラなど不要と思ったのですが、いまとなっては慧眼ですね。
そして、この携帯はメールを始めあらゆる機能が使いやすい傑作機でした。
特に、当時ハマっていたYahoo!の掲示板ができるのには、とても感動しましたね。

ところが、この端末は2001年秋のツーリング中に落としてしまい紛失です。
次もシャープと思ったのですが、この端末の後継機は折り畳みタイプなのでした。

折り畳みタイプは、アクションがひとつ増えるので好みではありません。
ストレートタイプにこだわった結果、次は東芝製のJ-T06になりました。

この端末はいかにも東芝らしく、ごつくて大きくて、デザインも正直微妙です。
最初の印象はよくなかったのですが、しかしとても使い勝手がよい端末でした。
端末右上の信号機のようなLEDが着信を通知してくれますし、十字キーの操作性もナイスです。
ただ、オプションのストロボは、一度も使うことはなかったですね。

そして翌年、第二世代(PDC)最後のモデルとして真打が登場します。
それはパナソニックのJ-P51、コンパクトな筐体にほれて、2002年に即行で機種変更しました。

この端末は、さすがパナソニックだけあってソツがなかったですね。
軽量コンパクトで、機能は必要にして十分です。
スライドカバーを開けるとカメラがすぐに起動するなど、使い勝手も大変よかったですね。

そして最も素晴らしかったのが、28.8kbpsモデムとして動作する点でした。
これでようやく、まともにモバイルができるようになりましたね。
USBモデムでパソコンと繋げて、新幹線でネットサーフィンしたのもなつかしい思い出です。
この端末は本当にお気に入りで、私にはめずらしく二年以上つかいました。

3G以降はスマートフォンです。

J-P51をつかっている間に、キャリアはJ-PhoneからVodahoneに変わります。
Vodaphoneなってから、魅力的な端末がなくなりましたね。
そしてこの頃から、PDAに電話がついたような端末がでないモノかと思っていました。

そこに登場したのが、ノキアの702NKです。
もう、これしかないということで、2004年暮れの発売と同時に飛びつきました。

日本初の、本格的なスマートフォンである702NKです。
まずは、これまで鬼門だったアドレス帳の移行が、Outlookでできるのが斬新でしたね。
これでようやく、アドレス帳の管理がExcelでできるようになったのでした。

もちろん、パソコンのメルアドでメールもできますし、任意のアプリを入れることもできます。
mp3ファイルを着メロにできますし、まさにこれまでの夢を実現してくれる端末でした。
Bluetoothでワイヤレスモデムになるのも、とてもよかったですね。

日本語入力が個性的だったりメールに振分け機能がなかったり、ネットバンクやYahoo!掲示板ができないといった欠点も多々ありましたが、かなり気に入って使っていました。デザインも、好みのストレートタイプで使いやすかったです。

ただ、もうすこし日本の環境に順応した端末が欲しくなりました。
702NKを使い始めて一年がすぎた2006年、バッテリーが弱ってきたところで機種変更です。

このときは、スマートフォンにするかどうか、かなり悩みました。
そして、当時の携帯電話の師匠に決めてもらったのが、サムスン製の804ssです。

この端末は、私にとって最初で最後の折りたたみタイプですね。
また、はじめての韓国製電子機器でした。
筐体がとても薄いのと、液晶がものすごくきれいなのが魅力的でしたね。
特に、液晶についてはサムスンの面目躍如といった感じでした。

スマートフォンではありませんが、Outlookと連動できるという部分が決め手でしたね。
本島に、この頃まではアドレス帳の移行が機種変更の最大の難関だったのです。
当初は黒がよかったのですが、品切れでオレンジでした。
でも、オレンジはかばんの中から探しやすかったので、逆によかったですね。

この端末には、Outlookからよみがなデータが移らないという欠陥がありました。
アドレス帳で五十音検索ができないのは致命的でしたね。
最終的には、PDAを見ながら電話をしていました。

そして、2007年の9月にHTCのX02HTに機種変更です。
OSが、当時愛用していたPDAと同じWindows Mobileで、当時は真打という感じでしたね。
804ssと同じ、オレンジ色の筐体がクールでした。

さすがはWindows Mobileということで、Outlookとの連携は問題なしです。
また、BlackBerryばりのフルキーボードが魅力的でした。
歴代端末の中では、これが一番文字入力がやりやすかったですね。

歴代の携帯電話まとめ その2 につづく。