さよならデパートを読みました。

さよならデパート」という本を読みました。
山形の大沼デパート破綻を題材にした、ノンフィクションです。
ところが、これが大沼デパートだけの話ではなく、なかなかの一大抒情詩でした。
それではそのレビューと、そこから思う山形市の将来を書いてみたいと思います。

最上義光の時代からはじまる一大叙事詩です。

さよならデパート」という本を読みました。
山形在住の渡辺大輔さんが執筆した、ノンフィクション・ストーリーです。

渡辺さんは、山形市内で記念日という飲食店を経営されています。
隠れ家的な雰囲気と美味しい料理で、我が家のお気に入りのお店です。

先日、お店に行ったとき、この本のチラシを目にしました。
そして、俄然興味がでて、筆者でありお店のオーナーである渡辺さんから直接購入しました。

その内容は、山形市の黎明期からはじまる一大叙事詩です。
最上義光の娘、駒姫の悲劇で幕が上がり、そこから山形市の成り立ちが語られます。

山形市は、最上義光のイメージからか、昔から大きい街という感じでしたが。
実は、江戸時代はこのあたりで一番大きいのは米沢で、山形市は中小規模の街だったのですね。

しかも、藩主が次々と入れ替わり、かつ最上義光が築いたお城が大きすぎて維持管理が大変。
そのような事情で藩主の力は弱く、山形市は商人中心の街になっていったのだそうです。
なるほど、山形市は城下町の割にはサムライ臭さがすくない街だと感じてはいましたが。
この本を読んで、その辺りの事情がとてもよくわかりました。

そんな山形市がいまの姿になるのは、明治の廃藩置県のあとからなのですね。
初代知事の三島通庸が、かつての最上義光の藩図に近い形で山形県を構築し、県庁所在地を山形市に定め、そこから街が大きくなったということで、こちらもへーという感じでした。

その後、明治から終戦にかけては、今の霞城公園にあった連隊の存在が大きかったようですね。
たしかにこの街、サムライ色は薄いのですが軍隊色は色濃く残っているイメージがあります。
そして、このような街の事情をバックボーンに、商業も発達してきたのですね。

正直、どこにでもある話ですがおもしろいです。

山形市の成り立ち話は全体の1/3ほど、それ以降はいよいよ商店街のお話になってきます。
昭和31年、主役の大沼デパートと、長年のライバル丸久デパートの開店にまつわるお話。
このあたりは、当時の熱気が行間からあふれ出ていて、読んでるこちらもワクワクしますね。

そこでは、各創業者たちの武勇伝が熱く語られています。
ただ、ぶっちゃけこのあたりは、山形市に限った話ではないと思いました。
私が生まれ育った宮城の町にも、似たような話はたくさんあります。
たぶん、当時は日本のいたるところで、同じような事象がたくさんあったのでしょう。

しかし、本書については、これは渡辺さんの郷土愛と情熱ゆえのことなのでしょうか?
そのあたりのことがかなりドラマチックに描かれていて、県外出身の私でも大いに楽しめました。
また、随所に織り込まれている編集メモが、これがとても臨場感があって最高ですね。
そして、あらためて昭和30年代というのは熱い時代だったのだと思いました。

その後、時代が下るにつれ、だんだんと見覚えのある風景が描写されてきます。
たしかに、私がはじめて山形駅に降り立ったときは、そこにニチイとダイエーがありました。
七日町のアーケードは覚えていませんが、大学二年のときにリニューアルされた記憶はあります。
このあたりについては、もう懐かしさでいっぱいの感じですね。

昭和末期の山形市には、まだ活気があったと思います。
週末の七日町など、ナンパのクルマが溢れていましたからね。
ところが、本書でも述べられている通り、平成に入ってから様相が一変するのですね。

商業にとらわれない街づくりに、私も賛同です。

大沼破綻の導線となる山形商業園の地盤沈下は、平成になってから始まります。
本書でも、南北の巨大なイオンの存在やECの隆盛などが理由として挙げられていますね。
そして、私自身も強く思うトコロとしては、やはり高速道路の開通が大きいと思います。

1991年に山形市まで山形自動車道が伸びて、状況は一変しましたね。
これで、仙台‐山形間は、完全に日帰り圏になりました。

もちろん、それまでも日帰りする気になればの距離ではありましたが。
高速の開通によって、通勤通学ができるレベルの日帰り圏になったのですね。
移動時間が1時間を切るようになると、それは社会に劇的な変化を与えると思います
そして、こうなってしまうと、七日町商店街の立ち位置も微妙になってきますよね。

本書には、大沼の集客力では藤崎レベルのブランド呼び込みができないと書いてありました。
なるほど、デパート業界には、そのような事情もあるのですね。
たしかに、デパートの存在意義はブランド品の取り扱いにありますから、これは致命的でしょう。

大沼の品揃えはなかなかでしたが、あの地でデパート経営は時代的に難しかったのでしょうね。
それと、大沼はなまじ優良企業だったので、余計に傷口が広がった感じもします。

きびしい戦況下では、もっとアコギに泥臭く企業経営しなくてはいけないモノです。
しかし、本書で描かれる大沼からは、ちょっとおっとりした印象も受けなくもないですね。
逆に、大沼に致命傷を負わせた投資ファンドが、まさにアコギで泥臭いキャラでして。
たぶん、いいようにやられてしまったのかなぁという感じですね。

いずれにしても、大沼破綻は時代の必然。
そして、街というモノは、その時代時代にあわせて新陳代謝するものです。
いま、七日町はマンションラッシュですね。
そして、そんな変化を嘆く声もちらほらと聞こえてもきます。

しかし、個人的には、七日町のマンション化は大いにアリだと思いますね。
本書によれば、振興組合の人をして、これまでは商業にこだわり過ぎていたとのこと。
まったく、その通りだと思います。

ちなみに、大沼デパートは創業320年ですが、実際にデパートだったのは63年間。
そう考えると、企業寿命的には妥当な感じもしないでもないですね。
そして、生き馬の目を抜くような小売業界で、よくがんばったと思います。

とにかく、この「さよならデパート」は、一読の価値ありですね。
山形のみならず、地方商店街の栄枯を知るのにはうってつけの一冊です。
そして、あらためて、商売は時流を読めてなんぼなのだと思うばかりですね。