私のオートバイ履歴(1)

このブログのWebikerは、WebとBikerを掛け合わせた造語である。勿論、Bikerを名乗る私はリアルでもオートバイ乗り、そろそろオートバイの話を書いてみようと思う。

私がオートバイに興味を持ったのは、36年前の中学一年生の時である。それまではクルマは大好きな少年であったが、オートバイには全く興味がなかった。あんなモノ、ただただ危ないだけの不良の乗り物だと思っていたからである。

私が小学生時分の1970年代は、確かにオートバイに乗る者は不良という風潮だった。それはひねた少年が粋がるための小道具であり、実際に事故を起こして死んだり大怪我をする者も少なくなかった。生真面目な少年だった私としては、あんなモノで粋がった挙句命を落とすなど、大馬鹿者のあり得ない選択の最右翼だったのである。ところが、私が中学生になった1980年辺りから、オートバイに対する世間の風潮が変わってきた。

キーワードは正統派ライダー。

何でも、それはこれまでの暴走族とは一線を画する、ヘルメットと革ツナギで安全を確保しオートバイ本来の走りを追求するライダーとの由、そして世間は空前のオートバイブームに突入していくのであった。そんな時代の中、私は自転車による遠乗りにハマっていた。国土地理院の5万分の1の白地図を眺めては、遠くに旅する事を夢見ていた。しかし、現実に自転車で行ける範囲は限られている。そこでふと目に留まったのが、オートバイ屋さんの折り込みチラシであった。

そうか、オートバイなら遠くに行ける。

そんな折、件の正統派ライダーの話をしてくれたのが近所の友達K君だった。K君は小学生時分から月刊オートバイなどを読み漁っているマセガキで、私にDOHCとターボの構造及びそれらの効能を解説してくれるに留まらず、本来オートバイとは暴走族専科の乗り物ではない事を私に教えてくれたのである。そんなK君に影響されて私も月刊オートバイを読むようになる。初めて購入した月刊オートバイは1981年の5月号。巻頭特集は発売されたばかりのGSX400F。スズキの400ccが当時の国産最高峰クルマのソアラ2.8に先行して走るグラビアが印象的であった。その時、私はオートバイのパフォーマンスがクルマと同等かそれ以上という事を知り、それ以降何故か、私は急激にオートバイの世界にのめり込んでいくのである。それでも、初めて月刊オートバイを買って自宅に帰った時は親に怒られたものだ。お前は暴走族になるのかと。まだまだ正統派ライダーなど一般的ではなかった時代、それがキチンと認識されるのは、そこから10年を要したように思う。

当時のオートバイブームのキーポイントとなると個人的に思っているその正統派ライダーは、オートバイ本来の走りを追求する事を旨としていた。であれば、オートバイのスタイルもレーサーレプリカタイプが主流になるのは必然である。走りを追求していけば、おのずとオートレースの世界に帰着する、当時のオートバイ乗りの理想形は、バリバリ伝説のグンであった。そして、サーキットまで辿り着けない連中は峠で膝をこする事となり、全国あちこちの峠道がオートバイ通行禁止となる。結果として、正統派ライダーもまた暴走族と変わらない社会の迷惑集団になってしまうワケなのだが、それでも中学生当時の私は、峠で膝を擦る正統派ライダーは正統なのだと信じ切っていた。

そんな私が実際にオートバイに乗るのは、大学に進学してからである。高校は筋金入りの3ナイ推進校で、入学当日にオートバイに乗るのは人生の落伍者だと言わんばかりの講釈に腹を立てたのも懐かしい思い出。まぁそれ以前に高校生時分の私には免許を取って車両を購入するだけの金もなく、勿論そんな事を許してくれる家庭環境でもなかったので、オートバイを始めるには親元を離れて独立しての環境が必要なのであった。私がオートバイに目覚め大学に進学しオートバイ生活を始めるまでの5年間は正にレーサーレプリカ全盛期。RGΓやTZRにNSR、4スト四気筒であれば、GSX-RにFZRにCBR、そしてレプリカ路線とは一線を画していたカワサキもまたZRXを発売と、綺羅星のようなオートバイが毎年のように発表されていた時代であった。勿論、パワーもパフォーマンスも毎年のように向上する。そして、極めつけはGSX-R750、ナナハンのレーサーレプリカ。これの登場には、本当に痺れた。オートバイ雑誌を読み漁るしか術のない田舎の高校生だった私にとって、これらのオートバイはアイドルのような存在であった。人生で一番多感な時期に、私はレーサーレプリカ至上主義の価値観を全身に刷り込まれていったのである。

オートバイ

Posted by webiker