数奇な運命の人たち

ネットやテレビを観ていると、数奇な運命の人に出会ったりします。
その激烈な生涯を知ると、この人はいったいどんな気持ちで生きていたのかと思いが馳せますね。
今回は、最近知った二人について、感じることをつらつらと書いてみたいと思います。

一人目は、ハマスの最高指導者ハニーヤ氏。

まず一人目は、ハマスの最高指導者であったハニーヤ氏です。
先日、滞在先のテヘランで暗殺されました。
なんでも、ミサイルでピンポイント攻撃されたとのことで、壮絶ですね。
前線の兵士ならともかく、このような亡くなり方をする人はあまりいないと思います。

しかも、今年の春には息子二人と孫四人も殺されているとのこと。
それでも、抵抗する意志はなお強固になったとの発言ですから、もはや鬼ですね。
実際、精神的に凹むそぶりもなく精力的に活動されていて、その胆力には驚くばかりです。
純粋に、すごい人だなと思いますね。

欧米ではテロリストの親玉扱いの彼ですが、写真で見る限り、あまり粗暴な印象は受けません。
紳士的だったとの記事もありますし、確かにその通りなのかと感じるモノがあります。
そもそも、パレスチナ人民の支持を得て、首相に担ぎ出されるぐらいですからね。

たぶん、賢く豪快で懐が深く、それゆえに人望がある人だったのでしょう。
あの時期、あの場所に生まれていなければ、経営者や政治家として大成した人だと思います。
逆に、あれだけの資質があったので、鬼のような生涯を送らざるを得なかったのでしょう。

そう考えると、とても虚しくなってきますね。
やはり、古今東西、人生とはままならないモノだと思います。

二人目は、全学連委員長の唐牛健太郎さん。

そして、二人目は唐牛健太郎さんです。
この方は、かつての全学連の委員長だった人ですね。
NHKの映像の世紀、バタフライエフェクトで、その存在を知りました。

唐牛さんは、1960年の羽田空港ロビー占拠、そして国会前バリケード突破で有名ですね。
番組によれば、カリスマ的なリーダシップで、これらの闘争を指揮したとのコトです。
このとき、若干23歳ということですから、その卓越した資質と人望に驚かされますね。

しかも、そのあとの経歴もすごいです。
学生運動のあとは、ヨットで世界一周を果たした堀江謙一氏とヨットスクールを設立、経営。
新橋に居酒屋を構え、そののち、北海道の紋別で漁師になります。
そして、10年間の漁師生活のあとは、千葉でコンピュータのセールスマンになるのでした。

もちろん、営業成績はトップとのことで、彼ならば朝飯前のコトだったでしょう。
最終的には、徳洲会創業者のブレーンとなり、47歳の若さで病没するのでした。
まさに、映画化が待望される、ドラマチックな生涯だと思います。

さらに、唐牛さんは、その人間関係も超絶ですね。
一例をあげれば、戦後最大のフィクサーである田中清玄さんや、山口組の田岡組長と交流があり。
晩年は、自民党議員の加藤紘一さんや、元首相の菅直人さんからも慕われていたとのコトです。
いったい、どれだけの交友関係があるのかと、そのすごさに感嘆しました。

どんな気持ちで人生を駆け抜けたのかに思いが馳せます。

唐牛さんもハニーヤ氏と同じく、賢く豪快で懐が深く、人望が篤い人なのでしょう。
たぶん、幕末に生まれていたら、後世に名を残す偉人だったかもしれません。
そして、現代のガザ地区に生まれていたら、間違いなくハニーヤ氏だったと思います。

唐牛さんは、どうして10年間も紋別で漁師をしていたのでしょう。
闘争の時代が過ぎ去り、社会の中に自分の居場所を感じられなかったのでしょうか?
まったくもって想像でしかありませんが、とても気になるトコロです。

あらためて、このような運命を背負った人は、大変だと思いますね。
平凡に生きたいと思っても、自分も周りも許してくれないのでしょうから。
人としてのスペックが高く、傍から見るとうらやましい限りですが、ままならないモノです。
そして、どのような気持ちで人生を駆け抜けたのかに思いが馳せるのですね。

人民の勇者として戦い続けたハニーヤ氏に、人間らしい安息はあったのでしょうか。
時代に翻弄された唐牛さんに、人生をやり切ったという達成感はあったのでしょうか。

もちろん、このようなことを考えても、野暮なだけなのかもしれません。
意外と、このあたりのことは、平凡な人間とそんなに変わらないような気もします。
とはいえ、自分ならどうなのかと思うと、すこし複雑な気持ちになってしまいますね。

結局、人は生きるようにしか生きられないというコトでしょうか。
そんなことを考えながらすごす、今年の夏です。