恨の文化と春香伝

韓国の恨の文化に関する本を読んでみました。
もちろん、この言葉ひとつで韓国人のすべてが理解できるとは思いません。
でも、あらためてその地域地域に、文化的なテイストは存在するモノですね。
それでは、その辺りのことをつらつらと書いてみたいと思います。

恨の文化について、本を読んでみました。

今年は韓流にハマって、ネットでもそれ絡みの検索をすることが多くなりました。
そうすると、AIナイズの検索エンジンが、韓流系の情報を絶妙に届けてくれるようになります。
そのような中で、恨の文化なるモノを知りました。

「恨(ハン)」とは、なんでも韓国人を理解するためのキーワードとのことです。
その、日本語読みで「うらみ」となる言葉に興味を惹かれて、少し調べてみることにしました。

ちなみに、日本は恥の文化などと言われています。
その出自が、アメリカ人が書いた菊と刀という本なのは有名な話ですね。

しかし、この恨の文化については、出自がハッキリしないようです。
そのためか、ネットでもその解釈は様々ですね。
日本人には、韓国人の逆恨み気質や被害者意識に結び付けて語る人も多いです。
というか、ネットでは日本人バイアスが強すぎるようですね。

そんな日本人バイアスを外すために見つけた本がこちらです。

李 御寧 著の「韓国人の心」、副題が「恨の文化論」です。
1963年に韓国で発表されて、日本語訳は1983年に刊行のようですね。
そして、その日本語訳刊行に合わせて、「恨とうらみ」という一章が書き加えらえています。
ちなみに、李 御寧さんについては「縮み」志向の日本人という本が有名ですね。

本書は、基本的にはエッセーです。
ですので、これで韓国人のすべてが分かるとは思いません。
ただ、そこから考察のヒントを得られれば御の字かと、そんな感じで手に取ってみました。

ポジティブ志向な「恨」の解釈でした。

本の方は絶版で、電子版もないようです。
県の図書館サイトで調べたら蔵書リストにあったので、サクッと借りてきました。
そして読み始めたら、これがすごい名著でびっくりです。
ひさしぶりに感嘆できる本で、一気読みしてしまいました。

内容は、主に韓国と西欧や日本との比較論です。
エッセイひとつが4~5ページで、それが51個ほど掲載されています。
エッセイは、古今東西の文学や宗教、哲学などを引き合いに語られていてとても面白いです。
すこし疑問の部分もありますが、軽妙な語り口と相まってスラスラ読めますね。

そして、今回一番参考になったのは、その日本語訳で増補された「恨とうらみ」の章でした。
日本人向けに増補されただけのことはあって、とてもわかりやすいです。

本書によれば、同じ「うらみ」でも、韓国人にとっては「恨」と「怨」は別物とのことです。
「恨」とは、困難や不幸、挫折の中でもなお、切々たる望みを持ち続ける姿勢なのですね。

そして、この「恨」の具体例は、春香伝におけるヒロインの春香なのだそうです。
なるほど、「恨」には、そのようなポジティブなニュアンスもあるのですね。
それなら、韓国内で恨の文化論が受け入れられるのも納得できる話です。

「恨」の具体例である春香伝を読んでみました。

ちなみに、「恨」に対する「怨」は、これは本当の意味での「うらみ」ということで。
具体例は、日本の忠臣蔵とのことです。
なるほど、これはとてもわかりやすい説明ですね。

ということで、今度はその「恨」の具体例である春香伝を読みたくなりました。
春香伝は韓国の忠臣蔵とまで言われる、超メジャーな古典のようです。
ということで、こちらも県の図書館から借りてきました。

春香伝の日本語訳は、この高文研の新編岩波文庫版の2つがメジャーです。
岩波版の方がより本格的のようですが、ちょっと敷居も高そうです。
ということで、今回はこちらの新編を読んでみました。

結果、すこし訳者の想いが強すぎるきらいもありましたが、楽しく読むことができました。
そして、その内容がまんま韓流ドラマで笑ってしまいました。

まずは、巨悪な権力が主人公たちを苦しめるという構図。
ヒールがとことんヒールなのも韓流ドラマと同じですね。
貧乏なヒロインがお金持ちの王子様に、一途に操を立てるトコロも似ています。

そして、主人公たちは、どんな不条理や理不尽にも絶対に屈服しません。
この、絶対に屈服しない姿勢が、いかにも韓国流ですね。
しかも、日本流と違い、敵をやっつけるところに趣が置かれないトコロも同じです。

そんな、韓流ドラマのエッセンスがすべて詰まったような春香伝。
なるほど、韓ドラの源泉はココだったのですね。
そして、韓流ドラマに感じる異国感のようなモノが、とてもよく理解できました。

半沢直樹と梨泰院クラス、同じビジネス復讐劇でも似ているようで似ていません。
そして、それは忠臣蔵と春香伝、つまりは怨と恨の違いなのでしょうね。

たかが隣国、されど隣国

ちなみに、この手の文化論は、捉え方も人それぞれだとは思ってます。
恨の文化を、やせ我慢や屈折した考え方だと感じる人もいるかもしれません。
また、現代韓国人のすべてが、この恨のロジックで行動しているワケでもないでしょう。
決して、ステレオタイプで語って良いテーマではないと思います。

ただ、ドラマなどの文芸作品には、やはり地域特有のテイストが色濃く反映されると思います。
なんだかんだいって、朝鮮半島は地政学的に大変な歴史を積み重ねてきたところです。
温室育ちのような日本とは、根本的な味わいが違うのも当然のことなのでしょう。

いずれにしても、私はこの「恨」のテイストが好きですね。
とても普遍的でナチュラルですし、ワールドワイドに受け入れられる価値観のように感じます。
逆に、忠臣蔵の忠義絶対主義の方が、特異でエキセントリックのようにも思えますね。

今回の考察で、私がアンチ忠臣蔵である理由も、とても鮮明になりました。
そして、そのような私は、この春香伝がかなりのお気に入りです。
ぜひぜひ、今度は映像バージョンで、そのテイストを味わってみたいと思っています。