オリンピック組織委員会の森会長が辞任しました。
このドタバタ劇をみても、女性の立場はまだまだ発展途上なのだなぁと感じますね。
今回はその辺りのことを、山口ミルコさんの自叙伝を絡めて書いてみたいと思います。
迷惑千万なオワコン老人でした。
オリンピック組織委員会における森会長の騒動が、世間を賑わしていますね。
このタイミングであの失態、悲惨なことこの上なしです。
傍から見ていても、まったく迷惑千万なジジイだとあきれ果てるばかりですね。

もともと、この御仁、この国の少子化は女性の社会進出が原因ぐらいに思っていますからね。
もはや、確信的な女性蔑視以前の、単なる時代遅れのロートルなのです。
それゆえに、自分が悪いとは思っていない分、逆に始末が悪い感じですね。
いずれにしても、あれでは事故が起きるのも必然だったということでしょう。
これについては、森喜朗さんの個人的な資質の話ではないですね。
つまりは、あのようなオワコンをトップに据え置いていた組織の問題なのだと思います。
しかも、その後の後継選びが、輪をかけて酷かったですね。
あそこまでいくと、もはや組織としての体をなしていないという感じです。
組織委員会とやらがどんなところなのか、部外者の私でも手に取るように分かりますね。
結局のところ、この国の体育会系文化の弊害なのだと思います。
そして、そのような土壌に任侠浪花節のロートルが居座れば、おのずと組織は北朝鮮ですね。
こんな状態で委員会が7年間も運営されていたとは、ある意味恐怖すら覚えてしまいます。
ただ、今回の唯一の救いは、自浄作用が働いたことでしょうね。
会合における森会長のあのたわ言は、組織の誰かがリークしたモノでしょうから。
これで進化の足を引っ張る老害がひとり退場になったのは、素直に喜ばしいと思います。
働く女性の本を読みました。
話は変わって、山口ミルコさんのバブルという本を読みました。
朝日新聞のネット版でみかけた、【退社後苦しんだ「ねば病」】というタイトル。
それに惹かれれて、kindleのサンプル版を手に取ってみたのです。
山口さんは、幻冬舎で編集者をされていた方です。
私が敬愛する五木寛之先生の、担当編集者だったりします。
まぁ、ひとことでいえば、すんごい人ということですね。

作品は、そんな山口さんの就職してから幻冬舎を辞めるまでの自叙伝です。
山口さんは、外資系金融企業のOLだったのですが、縁あって角川書店に転職するのですね。
そこで、強烈なボスと出会い、そこから壮絶な編集者人生を歩むというお話です。
読み始めて、まずはあの1990年代の雰囲気が痛烈、かつ懐かしく蘇ってきました。
当時のバブル入社組を、山口さんはヘイセイガンネンズと呼んでいます。
1990年に社会人になった私も、まごうことなきヘイセイガンネンズですね。
作品の冒頭には、タクシー券が使いたい放題だった当時の世相が描かれています。
確かに、私のいた地方の工場も、タクシーこそ使いませんでしたがこんな感じでしたね。
21時が実質的な定時時間、そこから2~3時間残業して帰宅、毎日がお祭りのようでした。
ちなみに、私がこんな働き方をしていたのは、入社から4~5年の間です。
30歳を前に不本意なキャリア変更があり、そこから会社とは距離を置くようになりました。
もし、あのキャリア変更がなければ、私も山口さんと同じ会社ラブだったかもしれません。
少なくとも、いまでも独身だった可能性は大いにありますね。

山口さんは20年近く、会社ラブで大好きな編集の仕事に邁進されたようです。
そして、大病を患ってしまうのですが、それもまた然りと思ってしまいました。
私の周りにも、仕事をしすぎて心身を壊した人は少なからず存在します。
バブルの惰性で動いていた日本経済も、2000年代に入ると様相が変わります。
選択と集中、成果主義、そして自己責任。
山口さんが幻冬舎の退社を決めた2008年、私は事業部ごとリストラされました。
そしてそこから10年、山口さんも私もいっぱしのフリーランスです。
職歴のターニングポイントが被っていて、ちょっと笑ってしまいましたね。
平成という時代を振り返る意味でも、とても興味深い作品でした。
女性の立場は、まだまだ発展途上です。
この作品には、山口さんの他にも同時代を生き抜いた女性が複数登場します。
大手企業の事務職からCA、IT企業の社員にTV局のディレクター。
変わり種では、国会議員の秘書という方もいらっしゃいました。
作品では、彼女たちがあのバブルの季節をたくましく生き抜いてきた様子が描かれています。
当時は、森喜朗さんのような時代遅れもまだまだ現役で、世の中を牛耳っている状況でした。
そんな中での均等法一期生、やはり並大抵の苦労ではなかっただろうと思います。
そしてみなさん、立派にキャリアを積まれているのですね。
本当に、素晴しいことだと思います。

ただ、ひとつ気になったのは、山口さんを含めほとんどの方が独身ということですね。
もちろん、独身が悪いというワケではありませんし、それは個人の生き方のお話です。
ただ、これがヘイセイガンネンズの現実とも思いました。
仕事と家庭の両立、そのハードルは思う以上に高いモノです。
現に、山口さんも作中で、結婚や子どものことは遠のいていったと書かれていました。
均等法最大の欠点は、この部分のフォローが完全に抜け落ちていたことでしょうね。
たとえば森喜朗さんのポリシーも、この現実をベースにしたモノだと考えられます。
でも、だからといって、女性は家庭に入るべしは、あまりにも後ろ向きすぎますね。
男女問わず誰にでも、自分らしく、そして人間らしく生きる権利はあるハズです。
そう考えると、この国の均等法も、ここにきてやっとVer2.0なのかもしれないですね。
10年前はイロモノだった男性の育休も、ずいぶんと一般的になってきました。
在宅ワークなど、働き方のスタイルも変わってきています。
でも、子育てサポートの整備は、まだまだ必要ですね。
また、それにプラスして、意識改革も大切です。
たとえば、少子化対策の目的なども、あらためて考え直す必要があると思いますね。
よく、少子化対策は、国力回復や経済発展とセットで語られたりします。
でも、そもそもそこが間違いのように感じますね。
少子化対策は、国や経済のためではなく、あくまで人間が人間らしく生きるためのモノです。
希望する誰もが、何かを犠牲にすることなく、子を産み育てることができる社会の実現。
それが、本来の少子化対策の目指すところだと思うのですね。
ところが、ここに富国強兵的な要素が入ってくるから、話の方向がズレるのでしょう。
そう考えると、少子化対策という言葉自体を変えた方が良いのかもしれません。
たとえば、安産楽育対策とか、その方がしっくりくるような感じもしますね。
そしてそれが、山口さんの「ねば病」解消になるのだろうと思うのです。
結局のところ、すべてはこの国の仕事至上主義が、諸悪の根源なのですからね。

いずれにしても、女性の立場は、まだまだ発展途上だと思います。
でも、少しずつ向上していることも確かですね。
誰もが何をも犠牲にせず、人間らしい幸せを享受できる社会。
本当に大切なモノを見極めて、今後もスパイラルアップすることを願いたいですね。
そしてあらためて、今回の森会長の退場は妥当すぎると感じ入るばかりです。