日本学術会議の任命問題に思う事

昨秋、日本学術会議の任命問題が世間を賑わせました。
学術会議など、私には無縁の世界の話でしたが、いろいろと感じるモノがありました。
そのことを書きたいと思い続け、ここにきてようやく考えがまとまってきた感じです。
では、アカデミックとは無縁な私が、本件について思うところを書いてみたいと思います。

腑に落ちる意見に巡り合えません。

昨年10月、日本学術会議の任命問題が話題になりました。
管総理が、学術会議推薦の会員候補を任命しなかったというアレです。
当初は、国家権力が学問の自由を侵害したとかで、一部の世間は大騒ぎでした。

それでぶっちゃけ、日本学術会議など、初めて聞いた名前です。
報道によれば内閣府の下部組織とのこと、素人目には任命拒否もアリという感じですね。
正直、これがどうして学問の自由を侵害するのか、まったく理解できませんでした。

また、任命拒否された早稲田の先生が、国会前でデモをされているのには唖然としました。
なんか、この人ヒマだなと、ちゃんと大学教授の仕事をしているのかなと感じましたね。
そしてそれが、この話に興味を持ち続ける原点になっています。

さて、この話題については意見が百花繚乱ですね。
まずは、政府のやり方は横暴という立場です。
立憲民主党の枝野さんなどは、ハッキリ違法行為と言い切っていますね。

逆に、学術会議の、金だけ出させて口出すなの姿勢は許せないという意見もあります。
元維新の会の橋下徹さんなどは、民営化にしたらよいのではという姿勢ですね。

挙句は、そもそも学術会議自体が左翼系だとか、あるは中国共産党とつながっているとか。
さすがにここまでくると、あまりにチープなゴシップ記事ですけど。
ただまぁ、私も感覚的なところでは、学術会議否定派という感じでした。

いずれにしてもこの話、スッと腹に落ちるような意見にはなかなか巡り合えません。
これもひとえに、この問題が非常にファジーだからだと思います。

実にファジーな学術会議の立ち位置

まず、法律には、会員は学術会議の推薦に基づき総理大臣が任命すると書いてあります。
枝野さんの違法という主張は、たぶんこれを根拠にしたモノでしょう。

ただ、法律の基づくは、100%従わなくてはいけないという意味ではなかったりします。
これに対して、これは天皇が総理大臣を任命するのに同じという意見もあります。
しかし、これも天皇の参政権を考えると、的確な反論ではなかったりしますね。

任命は形式的なモノという法解釈を勝手に変えるな、という意見もあります。
でも、法解釈を変えてはいけないという法律もありません。
そもそも、これができなくては、時代の変化に法律を対応させることができませんしね。

また、学問の自由についての議論も、あいまいですよね。
確かに、国家権力が学術分野に必要以上に介入するのはよくないでしょう。
でも、任命されなかった先生も、いままでどおり学究はできるワケです。
そう考えると、学問の自由が奪われたとまでは言い切れない部分もあるかと思います。

そもそも、この学術会議の立ち位置自体ががあやふやですよね。
内閣府の下部組織で会員は公務員、費用はすべて税金ながら、政府とは独立した組織。
正直、これではいったい何者なのか明確になりません。
これが、この話がいまひとつスッキリしないことの要因のように思いますね。

ということで、この問題を法律で結論づけることは難しいでしょう。
いくら論じてみたところで、枝葉末節のような話にしかならないと思います。

学術会議とは、学者先生の町内会

この話を理解するには、まず学術会議をよく知る必要があるでしょうね。
ということで、学術会議のWebPageやウィキペディアの記事を読み込んでみました。
そして、これは学者先生たちの町内会なのだと思うに至りました。

まず、両組織とも、会員は無償のボランティアです。
また、その選出が、旧会員からの推薦というところも同じですね。

会長さんのキャラも、似ていると思います。
町内会は、役所や会社などの元お偉いさん、そして学術会議はノーベル賞受賞者が多いです。
どちらも、その組織内で一目置かれる人というところが、共通していますね。

また、学術会議も町内会も、重要な活動のひとつが陳情だったりします。
たとえば、学術会議は政府への提言で、いろいろな共同利用研究所を設立させていますね。
ウチの町内会は、市への陳情で、公園トイレの設置やごみ収集所の増設を実現しました。

さらに、学術会議では、国際活動や二国間事業などをおこなっています。
これなども、町内会が他の自治組織と共同でお祭りをするような感じに似ていますね。

もちろん、事業内容やその規模は全然違いますけど。
でも、組織が向かうベクトルのようなところは、まったく同じだと思います。
そして、そう考えると、今回の任命問題もスッキリ理解できるような気がするのですね。

町内会と考えることで見えてくる問題の本質。

学術会議は学者先生の町内会。
そう考えると、今回の問題は、町内会の人事に首長が口出ししたという感じなのでしょう。
たとえば、市長が彼は町内会会長としてふさわしくないとか発言したら、大問題ですよね。
学術会議側が学問の自由を侵害されたと叫ぶのも、これと同じ理屈なのだと思います。

ただ、学術会議も町内会も、行政とは持ちつ持たれつの関係です。
なので、一概に無下にもできないというところなのでしょう。

そして最大のポイントは、どうしてこんな事が起きるかというところですね。
正直、国が本気で言論や学問を抑制しようとしているとは考えずらいです。
現在は戦時下でもないですし、そんなことをしても、誰にも何のメリットもありません。

そして、これについても、町内会に置き換えると見えてくるモノがあると思いますね。
たとえば、町内会の会長さんも、ほとんどの方は献身的で立派なのですが。
でも、中には何を勘違いしたのか、地域のドンのようにふるまう方もいらっしゃいます。
そして、地域住民に寄付や催物への参加を強制して、ひんしゅくを買ったりするのですね。

また、若い世代が、そのような旧態依然とした組織に反発するという話もよく聞きます。
それで、こじれにこじれて行政が調整に乗り出すことなども、なきにしもあらずでしょう。
そしてたぶん、これに近いようなことが、学術会議でも起きているように思われるのです。

時代に即した組織改革に期待したいです。

現に、ネットを眺めてみると、そのような話も散見されますね。
また、学術協会の歴史も、このような問題の是正の繰り返しだったりします。

かつて、選挙制だったときは、札束が飛び交うような状態だったという話もあります。
学会からの推薦制のころは、派閥がすごすぎたようですしね。

ただまぁ、学者先生の町内会という組織の性格上、これは仕方がないことかもしれません。
なぜなら、学者先生のヒエラルキーは権威で決まりますからね。
町内会でもそうなることがあるのですから、ましてや学術会議なら言わずもがなでしょう。

ということで、本件は、学術会議の是正の一環だと考えるのが妥当なのかもしれません。
もちろん、その真相は、世間一般のあずかり知らぬところなのだと思います。
たぶん、外野がいろいろ口をはさんだところで、どうこうなる話でもないのでしょうね。

ただまぁ、政府にしても学術会議にしても、改善に前向きなのはよいことだと思います。
実際、あのような組織を時代の変化に合わせこんでいくのは大変なことですからね。
関係者の尽力に、期待したいところです。

そして、返す返すも、あの早稲田の先生の国会前デモはないと思います。
学者先生なら感情に訴えるのではなく、その分野の専門知識で論破してほしいですね。
そうであれば、本件の世間受けも、もうちょっと違っていたことでしょう。

結局、物事は、好かれるか嫌われるのかで決まるのですからね。
この辺りをどうくみ取るのかが、今後の学術会議運営のキモなのかなと思ったりしています。