思考の整理学【読書レビュー】
久しぶりに、面白い本を読みました。
この本、ブログ執筆などに非常に有益です。
また、東大生。京大生が一番に読む本でもあるようです。
ただまぁ、学生にこの本の真意がわかるかなぁとも思いましたけど。
そのあたりも含めて、ためになった部分、感じたことなどを書いてみたいと思います。
ブログ執筆の参考になります。
先日、外山滋比古氏がお亡くなりになりました。
そのニュースを観ていた息子が、この人の文章って難解なんだよとつぶやきました。
なんでも、模擬テストなどで出題されるとお手上げなのだそうです。
そんな息子のつぶやきに興味を覚え、氏の代表作である思考の整理学を手にしてみました。
そうしたところ、これがとても面白くてびっくりです。
kindleでサンプルを読み始めて5分後には、購入のボタンをクリックでした。
それで、その内容は、まさに思考の整理学。
物事を思考するためのノウハウが、これでもかというぐらいに書かれていました。
それではそのエッセンスを、私の備忘録を兼ねてまとめていきたいと思います。
考えを寝かせる
まずは、これに尽きますね。
氏は、「見つめる鍋は煮えない」と言っています。
要は、何かを考えるにあたって、長時間根を詰めてもダメということですね。
逆に少し寝かせてみる、つまり放っておいた方が、良い結果が得られるのです。
これは、ブログでも思い当たること多々です。
私も、書きたいテーマが出ても、すぐには書き始めません。
まずは、テーマをWordPressの下書きにして、すこし温めておきます。
そして、数日して機が熟してきたなと思ったら書き始めます。
ここで、なかなか取り掛かれないテーマもでてきます。
それはたぶん、たいしたことがないテーマなのでしょうね。
考えを寝かせるのには、このようなフィルタリング効果もあったりします。
また、出来上がった文章も、すぐには投稿しないほうがいいですね。
最低でも一日、できたら1週間ぐらい寝かせておきます。
そうして読み返してみると、書き終えた直後にはわからなかった問題が見えてきます。
そこをリライトして、やっと投稿という感じですね。
これはサラリーマン時代、事業計画などを作成していたときも同じでした。
考えを寝かせるというのは、とても有益な手段です。
ちなみに、外山氏は、一つの考えを数年から十数年にかけて寝かすようです。
さすがは、思考のプロフェッショナルですね。
そこまで寝かせた思考は、もはや古酒のような味わいでしょう。
それと比べると、私のブログなどは浅漬けですが。
それでも、少しでも寝かせたほうが、思考の味わいは増すように思います。
書いてみる、声に出してみる。
考えがまとまっていない状態でも、まずは書いてみることが大切とのことです。
これも、まさしくその通りですね。
私もいつも、まだ頭の中がモヤモヤしている状態で書き始めます。
そして書きながら、自分の考えをまとめていきます。
思考というのは、頭の中にあるうちは夢幻です。
それは、三次元空間の中に浮かんでは消えゆくアブクのような感じです。
それに対して、文章というのは一次元です。
立体空間のなかのアブクを線上に並べることで、筋道が見えてくるのですね。
また、それによってよくわかっていないことや矛盾点などもハッキリしてきます。
氏は、もつれた糸を、ひとつの糸口から解きほぐすようなモノだと言っています。
まったく、言い得て妙だと思いますね。
また、書いたものを声に出して読んでみるのもいいそうです。
声に出して違和感を感じる部分には、何らかの問題が潜んでいるとことでした。
確かに、これもその通りですね。
考えがキチンと頭の中で整理されていない事には、理路整然としゃべることは出来ません。
ギリシャの哲学者が対話法を用いたにも一理あるということなのですね。
今度、プログをリライトするときに効果を試してみようと思っています。
散歩をしてみる。
散歩も、物事を思考するのに有効な手段とのことです。
また、軽く汗をかく運動もいいようですね。
欧米の思想家には、散策を好む人が多いです。
これにも、思い当たること多々です。
たとえば、終日コールセンターの仕事をしていると、脳はオーバーヒート気味になります。
そんなときに散歩に出ると、火照った脳が落ち着いてスッキリしてきますね。
そして、そんなときに、良い考えやアイディアが浮かんでくることが多いです。
実は私のブログネタも、愛犬との散歩中に思いついたことが7~8割です。
その他にも、興味深いことがいろいろ書いてありました。
以上が、個人的に有益と感じた部分でした。
そして、その他にも、たくさんの興味深い考察がありました。
たとえば、ことわざは定理や公式という表現。
理系人間の私には、とてもしっくりくる考え方でした。
また、古典についても勉強になりました。
私は長らく、年月の風雪に耐え得るエッセンスが古典なのだと思っていました。
しかし、古典とは、長年に渡る拡散的な評価、解釈に耐え得た作品なのですね。
昨今は、古典しか読まない私には、とてもためになる考察でした。
余談ですが、古典にならなかった一例に、島田清次郎があげられていました。
今度、機会があったら目を通してみようかなぁと思います。
倉庫脳(=記憶脳)と工場脳(=思考脳)の話も面白かったです。
コンピュータが普及する現代は、倉庫脳よりも工場脳が求められます。
そして、思考する工場脳には、よけいな知識、記憶は不要とのことでした。
要は、工場の在庫は必要最小限でいいということですね。
英文学者の立場で、工場における5Sの大切さをご存知とはさすがです。
また、1983年の時点で、現在のコンピュータ社会を読み切っています。
物事は0から創造されるワケではないというのも、現在のAI理論に通じていますね。
このような慧眼を、真のインテリジェンスというのでしょう。
そして、テレビは読書と同じ第二次的現実というのも興味深いですね。
要は、テレビの映像をリアルと捉えてはいけないということです。
信じられるのは第一次的現実のみのオートバイ乗りとしても、激しく同意するばかりでした。
学生が読んで、どこまでわかるでしょうか?
本には、文学者の日々の仕事のやり方なども詳しく載っています。
たとえば、カードの作り方やノートの取り方など。
なるほど、こんな感じなのねと、知的好奇心をとても満たしてくれる良書でした。
ただ、学生がこの本を読んでも、この本の真意が理解できるのかは疑問です。
すくなくとも、学生時分の私には、この本の本質は理解できなかったでしょう。
カードやノートの取り方や、あるいは朝食抜きで午前中に仕事をするとか。
そんな枝葉の部分しか頭に残らなかったような気がします。
たぶん、第一章のグライダーと飛行機の話も、真の理解は不可能だったと思いますね。
それでも、東大や京大の学生なら理解できるのでしょうか?
いや、いくら優秀な学生でも、私は五十歩百歩だと思います。
私は、この本をうんうんと頷きながら読めました。
それは、思考についての第一次的現実をたくさん持っていたからだと思います。
それに対して学生、それも新入生では、まだ第一次的現実はほとんど持っていないでしょう。
そのような状態で本書を読んでも、あまり意味がないような気がします。
逆に、枝葉の部分ばかりに目がいって、悪影響かもしれません。
本やテレビ、あるいはネットなどなど。
そのような第二次的現実をいくら体験したところで、本当のことは何もわかりません。
結局、実体験から自分で考え抜いたことでないと、血にも肉にもならないのですね。
そして、それを経て初めて、本書を理解できるステージに立てると思うのです。
第二次的現実だけで頭でっかちになっても、そこにあまり価値はありません。
息子が通っていた柔道の道場にも、こんなことが書いてありました。
「考えるな、まず動け」「動け、そして考えろ」
ということで、学生の皆さんには、まずはたくさんの体験と思考をお勧めします。
それで、いろいろ悩んだ上でならば、本書はとてもよい指針になると思います